上越市(じょうえつし)

○直江津(なおえつ)/上越市西本町 
 
   
▲観音寺の兜池/義経伝説が残ります  棟割長屋も多く見られます 
2階を歩道の上までせり出す
 江戸時代から船運,陸運の要衝でした。明治に入ってから,大火が相次ぎ,市内に古い建物があまり残っていませんが,街道沿いには雁木のある古民家が見られます。比較的新しい家は,歩道を確保しながら,2階部分を道路までせり出しています。 
雁木の下は私有地でも固定資産税を免除
 ところで、雁木のある通路は誰のもの、という疑問がありました。2階を歩道までせり出しているのですから。実は、完全に私有地なのです。しかしながら公共性が高いことから、上越市は固定資産税の減免を行っています。やはり歴史的にも価値が高い、景観を維持するなどからです。また雁木が途切れていても、歩道として使われているのも減免対象となるそうです。
感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 JR信越本線直江津駅から徒歩7分
 
○長者島(ちょうじゃしま)/上越市大島区大平 
 
   
 ▲茅葺き屋根の農家も、新建材の屋根に葺き替えるなど時代を感じます
消えつつある茅葺き屋根
 旧大島村大平(おおだいら)地区の小字にあたります。江戸時代は高田藩領です。米作中心の村ですが、干ばつや害虫による凶作などの災害が多く、餓死者も多く出た地域です。そのため他国への流出が相次ぎました。上杉氏は織物の原料となる青苧の栽培を奨励したりしました。苧(からむし)というのは、麻の一種で茎の周辺部から繊維を作った糸のことです。
有数の豪雪地帯
 松之山街道沿いの小さな集落で,保倉川沿いの絶壁の多い難所続きのところ。しかし安政年間(1854-60)の大改修で,やっと安心して通れたとか。茅葺き屋根もトタンに替わりました。古民家も多い。
 また県下でも有数の豪雪地帯です。
 感動度★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは道端に停めました
 ○田麦(たむぎ)/上越市大島区田麦
 
   
▲旧茅葺き屋根はふる里を感じます  ▲手入れの行き届いた古民家
トタン葺きの三角屋根群
 旧大島村は交通の不便なところ。戦後の昭和28年になってバスの運行が始まりました。それより先,電灯がついたのは大正12年のこと。当時の人口は600余人。開発の波から取り残されたことから,茅葺き屋根も長く残ったのでしょうか。いまは,ほとんどの屋根はトタン葺きや新建材に改装されています。それでも大きな三角屋根はあちこちに見られ,往時の面影を彷彿させます。
●日本の原風景を見る思いです
 一般の観光客のほかに,写真撮影や絵を描いたりする人も多いようです。なぜか日本の原風景を見る思いです。地名の由来は田麦川の源流部に発達したことによるそうです。
 
 感動度★
もう一度行きたい度★★
交通 クルマは無料駐車場に停めました
○寺町(てらまち)/上越市寺町 
 
   
▲善導寺/市指定の木造立像あり  ▲称念寺/国指定の文化財あり 
   
▲天崇寺/山門は延宝2年建立  ▲常敬寺/木造正徳太子立像あり 
   
 ▲浄興寺/本堂は国の重要文化財 ▲来迎寺(右)/浄土宗で阿弥陀如来 
築城とともに寺院を西側に集中
 高田城は,慶長19年(1614)徳川家康の六男松平忠輝の居城として築かれました。築城に伴い城下の整備を併せて進められ,偽明川(ぎみょうがわ)の西側に寺院を集中させたのです。これが寺町の始まりといわれています。
63ヵ寺が集まる寺院群
 現在の寺院の配置は,その後の寛文5年(1665)の地震で罹災後の復興によるものとか。今でも63ヵ寺もの寺院が残り,全国的にも大規模な寺院群を形成しています。寺院は2列に連なり,大部分が高田城に向いています。また約6割が浄土真宗系です。

 地名の由来は、大寺の門前町とか寺領であったためとか。 
感動度★★
 もう一度いきたい度★
 交通 JR信越本線高田駅から徒歩10分
 
○東本町(ひがしほんちょう)/上越市東本町3丁目 
 
   
▲早朝のせいか静かで美しい町並み  ▲善念寺/本堂瓦屋根に六文銭が… 
最も美しい雁木通り
 江戸時代から職人の町として知られています。いまは商店や一般住宅など混在。L字型の道は,城下町の名残です。市内に約16kmの雁木通りがありますが,最も美しい整然とした街並みを形成しています。早朝のため人影はありません。
『瞽女ミュージアム』
 町内には『瞽女(ごぜ)ミュージアム』があります。高田地区も瞽女を輩出した地域でもあります。瞽女とは三味線を弾きながら歌う盲目の女をさし、門付け巡業を主とした職業。瞽女の関する資料が展示されています。またたくさん映像化されており、1977年の『はなれ瞽女おりん』(水上勉原作・篠田正治監督・岩下志麻主演・武満徹音楽)は、いまだに最高傑作といわれています。 
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 JR信越本線高田駅から徒歩25分
○本町(ほんちょう)/上越市本町6丁目 
 
   
▲早朝はとても静かな「雁木通り」も市内に約16km続く  ▲近代住宅風に改築した古民家も多数見られます 
昔は下小町で約30軒の旅籠屋がありました
 旧高田の町を南北に縦断するのが本町通りです。大型の商店や銀行などが集中する経済の中心地です。本町通りは,かつて小町三町と呼ばれ,上小町,中小町,下小町に分かれていました。そして藩から商売上の特権を与えられており,特に信濃との取引で大変栄えていたのです。現在の本町6丁目は「下小町」にあたり,旅籠屋営業の特権を与えられ,江戸時代末期には約30軒もの旅籠屋が営業していました。
いまは「高田古町」といわれています
 現在は「高田小町」と命名して,商家を修築し一般開放しています。この日は早朝のため各店舗も閉まっていたのが残念です。 
感動度★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 JR信越本線高田駅から徒歩13分
○仲町(なかまち)/上越市仲町 
 
   
▲料亭・宇喜世(うきよ)は江戸時代末期の創業で国の登録文化財  
旧料亭,料理屋など花街を形成
 歩道に張り出した大きな庇(ひさし)は雪国特有の造りで「雁木」(がんぎ)と呼びます。庇の下は私有地で、各商店が、通行人のために雪や雨避けに造ったとか。仲町は,市内でも飲食店などが集中しています。ところで旧町名は田端町。このころ花街を形成しており、置屋13軒、芸者が60人とけっこう賑やかな町だったようです。ただし遊郭は栄町にありました。
「波の音で眠れない」で城を内陸に移転
 ところで上田城はもともと福島城と呼ばれ、現在の上越市港町2丁目(春日新田付近)にありました。ところが藩主・松平忠輝の高田城築城にともない、福島城下をそのまま移転してきたそうです。移転理由が藩主の「波の音で眠れない」とか。それはともかく、魚介類の販売権利もそのままそっくり移転。そのため仲町には魚を扱う料理屋が増えたそうです。
 感動度★★
もう一度行きたい度★★
交通 JR信越本線高田駅から徒歩10分