八尾市(やおし)
東本町(ひがしほんまち)/八尾市東本町 | |
●十七人衆が新たに寺内町を形成 戦国時代、久宝寺を中心とした寺内町は圧倒的な力を持っていました。しかし久宝寺の森本七郎兵衛ら十七人衆は、同じ久宝寺御坊の下代安井氏と対立して村を出ました。その後、八尾の長瀬川沿いの荒れ地を開墾、八尾御坊大信寺と慈願寺を中心の八尾寺内町を形成したのです。その八尾寺内町の中心地がココ。 ●大きな力を持つ寺内町 寺内町(じないまち)は、室町時代に浄土真宗などの仏教寺院、道場(御坊)を中心に形成された自治集落のことです。環濠や土塁で町を囲み、防御姿勢をとります。自治的特権を有し、経済的にも大きな力を持っています。大坂、大和など近畿地方に広がっています。 ●豪商らの商家が多数 江戸時代に入ると八尾街道など幾つかの陸路が発達。一層の商業の発達で多くの豪商が誕生しました。いま歩いていますと、土蔵や板塀が続き、虫籠窓のある商家らしき古民家も多数見られます。 |
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感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 近鉄大阪線八尾駅から徒歩6分 |
久宝寺(きゅうほうじ)/八尾市久宝寺 | |
▲虫籠窓のある町家などもきちんと残されています | ▲早朝にやってくると、町は静かで気持ちがいいです |
▲まちなみセンターが中心に活動 | ▲格子のある町並みも健在です |
●寺内町として400年の歴史を持つ 久宝寺は戦国時代に寺内町として建立され,400年以上の歴史を持っています。寺内町は,浄土真宗寺院を中心に建設された町です。町の周囲に環濠や土塁をめぐらし,戦国時代の戦乱を避けながら自治を行なってきたのです。寺内町としては近畿地方でも最も古いのが久宝寺といわれています。 ●見事に残った寺内町 町割りもほぼ江戸時代のままです。環濠や土塁の一部分が残っています。江戸時代の建物もそのまま残っており,重要伝統的建造物群保存地区に選定されてもおかしくはありません。現在、まちなみセンターを中心に保存活動中。 |
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感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★★ 交通 近鉄大阪線久宝寺駅から徒歩10分 |
神立(こうだち)/八尾市神立 | |
●遠く大阪市内の高層ビルが望めます 高安山麓で最も高地にある集落です。遠く大阪市内の高層ビルが一望できます。高地にあるだけに急坂になっており,その両側に石垣を築き,その上に蔵を建てたり,住居を囲ったりしています。住居密度の高いのがこの地区の特徴でもあります。 ●旧奈良街道沿いに発展 この神立を通って奈良県の斑鳩,龍田方面へ向かう十三超・龍田道(奈良街道)は昔からの主要道でした。江戸時代以降,今も森林からの豊な水を生かした切り花の生産の盛んな所です。また日本最古の地図『伊能大図』にも神立が明記されています。地名の由来は、玉祖神社が、周防からこの地にやって来たとういう伝承からきたとか。 |
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感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは道幅の広いところに停めました |
萱振(かやふり)/八尾市萱振町 | |
●織田信長と闘う本願寺派の最前線 河内には有力寺院による寺内町を形成するところが多いですが,ここも文明2年(1470)に恵光寺が建立され,萱振寺内町を形成しました。その後河内の本願寺門徒の有力寺院として成長。さらに織田信長と本願寺が戦った石山合戦では,本願寺派の最前線になりました。寺内には米をはじめ物資が豊富で,かなりの財力が蓄えられていたとか。 ●河内地方でおなじみの町家が続きます 河内街道沿いの集落ですが,一歩なかに入ると,昔ながらの路地と羽目板張りの町家や土蔵が散見できます。地名の由来は、祭りで萱を束ねてタイマツを造り、振りかざしたから。 |
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感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは近くのコンビニに停めました |
恩智(おんぢ)/八尾市恩智中町 | |
●土蔵や格子窓,土塀の町 南北朝時代に合戦があり,地頭の土屋宗直が北朝方,恩智神社を氏神とする恩智氏が南朝方として戦ったとか。地頭(じとう)というのは、鎌倉、室町幕府が荘園などの領地を管理支配するために設けた職。 江戸時代に入ると綿作が盛んで,河内木綿の一大産地となりました。その質の良さは儒学者・貝原益軒(かいばらえきけん)が『南遊紀行』で,「山根木綿」が京都で評判の木綿であると紹介しているほどです。 ●東高野街道沿いの「史跡の道」 このあたりは八尾市の「史跡の道」に指定されています。東高野街道が南北に通り,木綿の流通,参拝客などで大いに賑わったそうです。土蔵,格子窓のある町家,土塀のある商家など,歩きながら見つけることができます。 |
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感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは加津良神社境内の駐車場に停めました |