大和市(やまとし)

下鶴間(しもつるま)/大和市下鶴間 
 
   
 ▲それにしても黒塀の美しい家並み ▲白い蔵と植栽が似合う町です 
   
▲小倉家住宅と土蔵(いずれも復元)  ▲観音寺(村立鶴間学校発祥の地) 
矢倉沢往還の宿場町
 江戸時代,青山(東京都港区)を起点に,神奈川県を西南方向に横切り,関本・矢倉沢・足柄峠(南足柄市)を通り,三島(静岡県)へと通じる矢倉沢往還が存在しました。江戸中期には,大山信仰,富士信仰の行者や参拝者が利用することも多く,宿場町として発展しました。また八王子往還もココを通っています。
渡辺崋山や薩摩藩邸浪士隊も宿泊
 ところで江戸末期,画家・渡辺崋山は旅籠を兼ねた「まんじゅう屋」で1泊しており,「ものさびしい」と『遊相日記』に記されています。慶応3年(1867)12月15日、萩野村(厚木市)の萩野山中藩陣屋襲撃事件を起こした薩摩藩邸浪士隊は、事件前日の14日に当村に宿泊しています。そのほか多くの著名人たちが宿泊しているのは、交通の便がいいからでしょうか。

 いま歩いて見ますと,土蔵が点在し,黒板塀,美しい植栽など往時を彷彿させます。 
感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 東急田園都市線つきみの駅から徒歩15分 
上和田(かみわだ)/大和市上和田 
 
   
▲屋敷林や鎮守の森近くに土蔵が建つ  ▲改築された土蔵が点在します 
   
▲左馬(さば)神社/境内の片隅に「巡礼の碑」が立ちます 
境川付近には鎮守の森や屋敷林
 中原街道の拡幅工事は、古民家を消滅させました。しかし境川付近まで歩きますと、川沿いに鎮守の森や屋敷林などが点在。旧代官の小川家などが見られます。江戸時代は旗本・石川氏の知行地。村高は300石前後と少々。川沿いの集落ですが、土地の質が悪く、麦、粟、稗など雑穀が中心。ほかに蕎麦、大豆も栽培したそうです。
●左馬(さば)神社周辺に古民家が点在
 古民家は巡礼街道の碑が残る左馬
(さば)神社近辺に見られます。サバと名の付く神社は境川沿いに12社も存在します。サバとは馬引き、馬具、牧などを監督する「左馬頭(さまのかみ)」に由来するとか。 
感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 小田急江ノ島線桜ヶ丘駅から徒歩20分