中央区(ちゅうおうく)
磯部(いそべ)/相模原市中央区磯部 | |
▲旧中村家住宅/国の登録文化財/幕末期に建てられたと推定されています。和洋折衷住宅で、建築は鎌倉大工の石井甚五郎で、工期は10年といわれています | |
▲歩いていますとかなり大きな長屋門を見つけました | ▲勝坂遺跡/土器が縄文中期の目安とされ、一躍その名が全国に広がりました |
●勝坂式土器の発見が考古学の世界を揺るがす この地(磯部字勝坂)を全国に有名にしたのは、大正15年(1926)、公爵・大山柏(おおやま かしわ)氏によって発見された土器です。装飾的な文様、顔を表現した取っ手などによって注目され、後に「勝坂式土器」として縄文中期の目安とされました。この勝坂遺跡は国の史跡に指定されています。 ●長屋門や土蔵が点在 磯部は戦国時代から戦乱の渦のなかにいました。江戸時代は上磯部と下磯部に分かれ、八王子往還と府中街道が村内を通っていました。人口も常に800人前後と農村としてはそこそこの大きさでした。いま町を歩きますと、郊外の住宅団地に変貌。でも旧集落には長屋門や土蔵など点在しており、散歩コースとして最適です。 |
|
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR相模線下溝駅から徒歩25分 |
上溝(かみみぞ)/相模原市中央区上溝 | |
▲美しい植栽の向こうに古民家 | ▲清水家長屋門/市の文化財 |
●幕末期には生糸、繭の集散地 開拓当初は溝村といい、戦国時代に溝村が上、下に分かれていたとか。江戸時代になって上溝村になりました。八王子往還が通り、街道沿いには商家が軒を並べたいへん賑わっていました。また八王子に近いことから、農閑期には養蚕が盛んになりました。幕末期には、生糸、繭の集散地として発展。 ●旧名主の屋敷が残る 明治3年(1870)からは、月に6回の市が立ちました。その後、学校、銀行、警察署など相次いで公的機関が設置されました。いま養蚕の名残はありませんが、旧名主の屋敷や土蔵などが散見。 |
|
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR相模線番田駅から徒歩15分 |