○鍋茶屋通(なべちゃやどうり)/新潟市中央区東堀通 | |
▲鍋茶屋通のほとんどが飲食店で,夜の街です | ▲路地には旧妓楼など多くの歴史的建造物が見られます |
●「女郎、芸者色白く美しく……」 幕末期に創業した料亭・鍋茶屋が通り名の由来だとか。かつては東新道といい,一大遊郭でした。明治初期には、娼妓、芸妓合わせて500人もいたそうです。「女郎、芸者色白く美しく、着物などもずいぶん相応の品にて、櫛、こうがい十二、三本ぐらいさす……」と記された日記もあります。花街の発展は新潟港の発展とつながっています。奥州はもちろん、河川を利用した船運も盛んで、多くの商人たちが往来していました。その後の幾多の大火にもあいながらも、大正、昭和と発展し続けます。そして現代の飲食店街に定着しました。 ●羽目板張りの古民家群 板壁を注意深く見ますと,ほとんどが羽目板張りです。積雪と関係があるのでしょうか。昼間はほとんど人通りがありません。夜の町なのでしょうね。 |
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感動度★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 JR信越本線新潟駅から観光循環バスで本町下車徒歩8分 |
○西大畑町(にしおおはたちょう)/新潟市中央区西大畑町 | |
▲北方文化博物館新潟分館 | ▲旧齋藤家別邸/大正時代の建築 |
▲地獄極楽小路/旧新潟刑務所前 | ▲金井文化財館/明治20年(1887)築 |
●明治に入って別荘や個人宅が急増 江戸時代は牢屋敷が置かれ,明治にも刑務所として引き継がれた所。砂丘と松林に覆われた土地でしたが,明治に入って別邸などの個人宅として急速に開発、発展しました。 ●近代建築が凝縮! 同時に、新潟大学の校舎、研究機関、国の出先機関、市の文化施設などが進出。そのためか洋館や近代建築が多く見られます。歩いていて楽しい町並みです。そのせいか観光客の多いところでもあります。 |
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感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 観光循環バスで北方文化博物館新潟分館入口下車徒歩10分 |
○旭町通(あさひまちどおり)/新潟市中央区旭町通 | |
▲新潟聖パウロ教会/1926年築 | ▲新津記念館/国の登録文化財 |
●静かな文教地区 明治16年までは、朝日町といいました。いまは新潟大学医学部付属病院に出入りするクルマの多さに驚きます。しかし静かな文教地区(新潟大学旭町キャンパス)であることは,裏側に回ればわかります。 ●木々に覆われた新津記念館 丘陵上にある町で,都心からすぐの所。新津記念館など、木々に覆われた大きい建物が目に付きます。 |
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感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 JR信越本線新潟駅から観光循環バスで新津記念館前下車徒歩5分 |
○湊町通(みなとまちどおり)/新潟市中央区湊町通 | |
▲旧第四銀行/国の登録文化財 | ▲旧新潟税関庁舎/国の重要文化財 |
▲石山味噌醤油/国の登録文化財 | ▲通り沿いには古民家が残ります |
●かつての“税関通り” 幕末は戊辰戦争の影響などで,開港がやや遅れたものの,各国の領事館も設置。新潟港の信濃川河口付近には,税関も設けられました。いわゆる運上所のことです。この運上所から新潟市内に入る通りを運上所通りと呼びました。その後も運上所通りに市がたつなど、大いに賑わいました。いまの湊町通のことです。 ●各国の領事館も撤退を始めました ところが当てにしていた外国船が,港の水深が浅く接岸できず,他の港に廻ることが多くなりました。信濃川の土砂の堆積が多いためです。そのうちに各国の領事館も去っていきました。今は商家や雁木のある古民家が少し見られます。 |
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感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR新潟駅から観光循環バスで歴史博物館前下車徒歩10分 |
○下町(しもまち)/新潟市中央区上大川前通 | |
▲本町通は活気のある商店街 | ▲景観を守るために見事に改装 |
●新潟市内にも古民家 このあたりは空襲をのがれたせいか,古い町屋,商家,廻船問屋などの家々が点在しています。商店街のなかにも,よく見ると土蔵造りの店があったりして楽しい町です。 上大川前通は1番町から12番町までありますが,番号の若いほうに銀行や証券会社など集中。11番町や12番町は住宅や商店が混在しています。 ●町並みの景観が統一されつつあります 下町(しもまち)という呼び方は,このあたりから信濃川河口の下流方面を指すとか。1軒で妻入りと平入が混在した建て物はそう多くはありません。また10年ほど前と比較しますと、景観が統一され、住民の景観守ろうという意思を感じます |
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感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR新潟駅から観光循環バスで北前船の時代館前下車すぐ |
○十四番町(じゅうよんばんちょう)/新潟市中央区本町14番町 | |
▲歩いていますと、旅館がポツン、ポツンと見られます。 | |
●通称“4番町”の大規模な遊郭跡 明治31年の大火で,新潟遊郭が全焼。その後,幾つかに分散してできた遊郭の一つです。通称“14番町”で知られ,旅館が軒を連ねていました。昭和5年発刊の『全國遊郭案内』では貸し座敷94軒、娼妓は約500人、芸者は60人でかなり大きな遊里でした。 ●もう遊郭の面影は見られない 今では一般住宅に変身しており,往時の面影は見られませんが、古民家を見つけました。 |
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感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 JR新潟駅から観光循環バスで北前船の時代館前下車徒歩15分 |
○沼垂(ぬったり)/新潟市中央区沼垂東 | |
▲雁木のある普通の商店街 | ▲金山小路/金山作平の屋敷があった |
▲西尊寺/江戸期の塔頭が残る | ▲光照寺/新政府軍の本陣となる |
▲沼垂朝市/衰退しつつあります | ▲龍雲寺/江戸期から雨乞い祈願所 |
▲白山神社/沼垂の総鎮守です | ▲茶屋・山治園/昭和6年創業 |
●長岡藩支配の新潟港VS新発田藩支配の沼垂港 南北朝時代からある歴史のある集落です。「のったり」とも言ったようです。江戸初期は,各藩の米蔵が集まり積出港として繁栄しました。ところが海岸の浸食が進み,集積地は次々と移転していったことから衰退。その後,堀の掘削工事などが行われましたが,次第に港の機能は失われたのです。その背後には長岡潘支配の新潟港と新発田潘支配の沼垂港の抗争があったといわれています。 ●発酵の食文化が残る 明治に沼垂駅が開業すると,一気に周辺の開発が進みますが,後に衰退。 いまは酒,味噌,納豆,醤油などの発酵食品の町で,かつては川沿いに蔵が並んだとか。 |
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感動度★★ もう一度行きたい度★ 交通 JR信越本線新潟駅から徒歩20分 |
○寺町(てらまち)/新潟市中央区西掘前通 | |
▲瑞光寺/木造菩薩立像は県文化財 | ▲超願寺/「お胎籠り太子像」を安置 |
●今は28ヵ寺の甍が並ぶ 永禄11年(1568)ごろ,すでに善導寺,長善寺,宝亀院,不動院が開基。さらに元亀・天正年間(1570-91)に眞浄寺、法音寺、長照寺、宗現寺、本覚寺などが開基しました。その後24ヵ寺と18の前寺,末寺が甍を並べ,明治初年の町名改正まで寺町通りと呼ばれていました。 |
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感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 JR新潟駅から観光循環バスで東堀通6番町下車徒歩10分 |
○新津屋小路(にいつやこうじ)/新潟市中央区本町通 | |
▲人情横丁/飲食店もあります | ▲白龍大権現/今は商店街の守り神 |
●にいがた人情横丁 戦災復興のまっただ中、昭和26年(1951)に野菜など生鮮食料品を基本にした市場として発足。江戸時代は新津屋小路掘と呼ばれ、信濃川からの水運を利用して、野菜が運ばれたそうです。現在、飲食店を含め38軒が並びます。通称・人情横丁。 |
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感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR新潟駅からバスで古町下車、徒歩5分 |
○上古町(かみふるまち)/新潟市中央区古町通 | |
▲通称カミフルでオシャレな飲食店 | ▲白山神社/大鳥居の門前に広がる |
●地域差を克服した上古町 同じ古町通りでも地域差が生じ,万代地区はデパートや大型のショッピングセンターなどで大変な賑わい。ところが白山神社寄りの1番町~4番町は,空き店舗などができ寂れていました。 ●古民家を生かした店舗が並ぶ“カミフル” そんなとき地元の大学研究室(新潟国際情報大学)などと提携,若者たちを中心とした個性的な店舗がオープンしました。通称“カミフル”として全国に発信。500mほどの沿道に100店舗ほどの業種の違ったさまざまな店、古民家を改造したオシャレな店や各種イベントが登場したのです。同時に白山神社の門前町の様相を示しています。 |
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感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 JR新潟駅から観光循環バスで白山神社前下車徒歩3分 |