豊中市(とよなかし)

○永楽荘(えいらくそう)/豊中市永楽荘 
 
近代木造住宅が点在
 豊中市の北部に位置する高級住宅地です。箕面市の桜井や百楽荘などと隣接していますが、永楽荘は丘陵地のため本格的な開発は戦後になってからでした。誕生当時、街路樹として植えられ、住民に育てられてきた桜並木が咲き誇る景色は見事です。さらに美しい生け垣や植栽なども、住民の手で守られています。そこで豊中市景観協定地区の第1号となり、町並みが守られているのです。
 ただ、国道171号線からは、急坂を上らなくていけないため、クルマがないと高齢者にはきつい。近代木造和風住宅も点在しており、落ち着いた町です。
江戸時代は農民たちの争いが絶えない
 江戸時代は野畑(のばたけ)村といい、はじめは幕府領。その後武蔵国岩槻藩阿部氏の所領となりました。阿部氏は摂津24ヶ村、丹波4ヶ村を支配するために、陣屋を設置し支配を強めました。このあたりの農民たちは、山や水に関する争いが絶えませんでした。また幕末には陣屋役人の不正賄賂を糾弾して、2度にわたる百姓一揆が起こりました。特に2度目の安政5年(1858)一揆には、領主の月々の賄いが決められ、さらに家老からの下し米が割り当てられそうです。 
感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 阪急電車箕面線桜井駅から徒歩25分
 

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