十日町市(とおかまちし)

○松代(まつだい)/十日町市松代 
 
   
▲かつては交通の要衝でした  ▲雪国に多い意匠の古民家 
柏崎街道と松之山街道の分岐に位置します 
 古くは松平と称し、慶長15年(1610)松平忠輝による越後支配のとき、松代に改称したという説があります。松代は松之山郷に含まれますが,北組に属し高田藩領の時代には,松之山郷を支配する陣屋が置かれていました。というのも,柏崎街道と松之山街道の分岐点で交通の要衝であったからです。長く続いた六斎市もいったん中止になりましたが,その後も絶えず市が開かれました。特に青苧(あおそ/繊維となる原料)で織った越後縮布は江戸でも珍重され,多くの人が集まりました
板壁や真壁などの古民家は交通の要衝に立つ
 いま板壁や真壁造りなどの大型の古民家が,街道沿いに残されており,冬は雪国にふさわしい光景を見せてくれます。 
 感動度★★
もう一度行きたい度★
交通 クルマは松代区民会館の駐車場に停めました
○室島(むろじま)/十日町市室島乙 
 
   
▲古道や旧道沿いにも板張りの住宅が多く見られます 
●かつて交通の不便さはピカイチでした
 信濃川支流の渋海川沿いの農村集落です。江戸時代は高田藩,幕府領と支配が変遷。そのため,これといった産業の発展は見られませんでした。やはり交通の不便さ,すなわち北國街道,三国街道の脇往還に出るにも時間がかかるからでしょうか。
茅葺き,トタン屋根、板壁の静かな農村
 一方,古代から歴史ある集落で,「ミタザワ」と呼ばれていました。修験密教の名残がある村でしたが「ミタザワ」は御田、屯田(みた)の意味もあるのではないかと郷土史家は分析します。

 緩やかな坂道を歩きながら,茅葺き屋根やトタン屋根のある農家を幾つも見つけました。過疎地帯で,人に会うことはありませんが,穏やかな集落です。  
 感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 クルマは空き地に停めました
○上野(うえの)/十日町市上野甲 
 
   
▲大型の切妻型の古民家が多数  ▲板張りの民家が印象的です 
上杉家の支配下に
 室町期・戦国期には新田氏の子孫と称する上野氏の支配下にあり、上杉謙信の時代には上野中務少輔家成が上州沼田を支配していました。それにしても、越後のどこを歩いても、上杉謙信の名が登場します。さすが郷土を代表する武将です。
大型の古民家が多数見られます
 江戸時代は幕府領、高田藩領、白河藩領と変遷。さらに桑名藩の支配下にもなりました。江戸時代中期から新田開発が盛んでした。しかも良質の米がとれたことから人口も増えます。また秋には馬市など大きな市が開かれました。近郊近在から多くの人々を集めるなどの中心地となり、かなり賑やかになりました。道幅の広さは当時のままで,往時の賑やかさを彷彿させます。古民家も大型で,切り妻の真壁造りが印象的です。
 
感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 クルマは空き地に停めました
 
○小白倉(こじらくら)/十日町市小白倉 
 
   
▲わずかに残る茅葺き屋根  ▲大型の古民家が目に付きます 
江戸時代は貧しい農村
 古くは、住民の数で大白倉、小白倉に分けられたとか。江戸時代は高田藩領で、後に幕府領になりますが、村高はわずか40石前後の貧農。江戸中期までは仙田村の枝村として扱われ、仙田村全体を統括する庄屋がいました。
祭りに大勢の外国人も参加
 豪雪地帯にある農村です。谷底の狭い土地に,トタンの大屋根のある農家が目に付きます。茅葺き屋根は、わずかです。周囲は棚田があり,のどかな感じです。この日は祭りにあたり,大勢の外国人の研修にも利用されていました。
 
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 クルマは道端に停めました