千早赤阪村(ちはやあかさかむら)

○森屋(もりや)/千早赤阪村森屋 
 
   
▲街道沿いには旧家が見られます  ▲土蔵には水切り用の庇一つある 
2つの街道が分岐する交通の要衝
 南河内と大和を結ぶ道は古代から物資交流として重要視されていました。富田林(とんだばやし)から水越峠を越える富田林街道や千早峠を越える千早街道が頻繁に使われいたのです。これらの街道は,この森屋で分岐します。
街道集落として発展
 江戸時代は大坂に通じる石川の東部一帯の米,菜種,木綿等の集散地として栄えました。大ケ塚に市が立つと開催日について、森屋と激しい論争(喧嘩?)が行われました。結局、10日に大ケ塚、森屋は20日開催で決着しました。江戸末期には,寺子屋もあったというから,その発展ぶりがうかがえます。街道集落(街村)として栄え,漆喰塗りの蔵があちこちに見られます。
 
感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 クルマは道幅の広いところに停めました
 

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