茅ヶ崎市(ちがさきし)

 ○矢畑(やばた)/茅ヶ崎市矢畑
 
鎮守・懐島八幡宮(本社丘)は東国で最初の八幡宮
 谷畑とも書きました。戦国時代から名を残す歴史ある町です。旧東海道の十間坂から北へ向かうと本社丘(ほんしゃがおか)があります。長元3年(1030)平忠常が下総で反乱を起こします。朝廷はさっそく源頼信・頼義親子を派遣し乱を鎮めました。このときの戦勝祈願のため源氏の氏神であった石清水八幡宮を勧請し懐島八幡宮を創建。これが東国で最初の八幡宮となったそうです。いまは小さな丘の石段があり、解説板が立っているのみです。
いまは古民家は見られず、現代住宅が連なります
 旧東海道から脇道に入った町並みです。今は古民家は見られず、住宅街の一角に戦後の建物が残ります。ところで十間坂とは、右に富士、大山、箱根、左に江ノ島、鎌倉、六浦、金沢などが見えたので、十景坂と呼ばれ、これが地名の由来となったとか。 
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交通 JR東海道本線茅ヶ崎駅からバスで肥地力下車
 
○鶴嶺(つるみね)/茅ヶ崎市浜之郷 
 
   
▲参道の松並木/天然記念物に指定 ▲鶴嶺八幡宮/相模国茅ヶ崎の総社 
江戸時代から力のあった鶴嶺八幡宮
 江戸時代から明治にかけて浜之郷村と呼ばれています。中世の懐嶋郷のうち、最も海辺近くに位置したからが地名の由来だとか。しかしながら、鶴嶺八幡社があることから、一般的には鶴嶺と呼ばれたりします。鶴嶺八幡社は、慶安2年(1649)に社領7石の朱印を受けており、江戸時代から力のある神社でもありました。
古い町並みは鶴嶺八幡宮の近く
 明治22年~41年、一時期鶴嶺村と呼ばれ、今宿、円蔵、矢畑、浜之郷など11ヶ村が合併して鶴嶺村が成立。人口6000余人、戸数600余を数えました。町並みは鶴嶺八幡宮の近くに連なっており、いずれも古民家ではなく現代住宅となります。 
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交通 JR東海道本線茅ヶ崎駅からバスで鶴嶺小学校前下車
○中島(なかじま)/茅ヶ崎市中島 
 
古代から相模川の氾濫で流域が変わる
 奈良時代から残る地名で「中島郷」として見られます。『和名抄』には50戸ほどあったとされます。古代からかなり開けた地域でもあったようです。ただ、後の『新編相模国風土記稿』によれば、中島村は隣接する高座郡の中島村ではなからろうかと明記されています。というのも相模川のたび重なる氾濫で、流域が変遷。検地で所属が変わることもあったとか。
御三家との書状を守るために“状部屋”を設置
 集落には東海道が通り、長さ266間(約483m)、道幅3間半(6.3m)だったとか。街道沿いには幕府と御三家の尾張・紀伊藩との重要な文書、手紙などを相模川の氾濫から守るために“状部屋”が設けられました。やはり相模川の氾濫は幕府にとっても問題視されていたようです。 
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交通 JR東海道本線茅ヶ崎駅から平塚駅北口行きバスで中島下車すぐ