天王寺区(てんのうじく)

○細工谷(さいくだに)/大阪市天王寺区細工谷 
 
人間が細工したような浸食谷 
 上町台地の東側の斜面に立地する集落です。西側の急斜面と違い、比較的ゆるやかです。台地の東側縁辺地にはJR大阪環状線が通っています。地名の由来は、人間が細工したような浸食谷の谷間が多かったからといいますが、諸説あるようです。
路地の両側に町家が密集
 上町台地は中世から髙津宮、難波宮などがあり、かなり発展していましたが、この辺りは未開発地域で、江戸時代は主に水田だったようです。また、戦災にあうこともなく、戦前からの町家も比較的多く残っています。いま、狭い路地に住宅が密集していますが、ほとんどが改築、改修されていました。
 
感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 JR大阪環状線桃谷駅から徒歩12分
 
○夕陽丘(ゆうひがおか)/大阪市天王寺区夕陽丘町 
 
   
▲真言坂/真言宗の生玉十坊から命名  ▲源聖寺坂/源聖寺という寺がある 
   
▲口縄坂/蛇のことを口縄という  ▲愛染坂/「愛染さん」がある 
   
▲清水坂/そばに清水寺がある   ▲逢坂/いまは国道25号線  
天神坂で真田幸村が戦死!?
 大阪市内でも有数の高級住宅地ですが,最近はマンションの林立が目につきます。そんな夕陽丘は,天王寺七坂と呼ばれ,歌人藤原家隆にも詠まれたところでもあります。北から真言坂,源聖寺坂,口縄坂,愛染坂,清水坂,天神坂(写真・一番上),逢坂と続きます。天神坂は,大阪夏の陣で真田幸村が戦死した場所だそうです。また逢坂は国道25号線と重なります。
●夕日が美しい天王寺七坂
 夕陽丘は上町台地の西側にあり,平安時代後期に浄土信仰の広がりとともに、四天王寺を中心とするこの辺りを、夕方の落日に“西方浄土を想念する”考えが広がり注目されとか。
 
感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 地下鉄四天王寺前夕陽丘駅から徒歩10分
 
○生玉(いくたま)/大阪市天王寺区生玉町 
 
大坂城築城のため現在地に移転させられる
 かつては神社の生玉神社境内であったと推定されます。町名としては明治33年に命名されており、当時は東区でした。その後大正14年から天王寺区の町名になりました。地名の由来は生國魂神社(生玉)からきています。もともと同神社は上町台地の北部にあった荘園・生玉荘にあり、秀吉が大坂城築城のため、現在地に移転させられました。慶長11年(1606)ごろまでに遷座・造営を完了。家康も先例に習って300石の朱印領を寄せたそうです。
生國魂神社と隣り合わせにある小さな町並み
 ところで生玉の意味は、この玉を持っていると長生きするとか。町並みは小さく、木造2階建ての古民家がわずかに続いています。
  
感動度★
もう一度行きたい度★
交通 地下鉄四天王寺前夕陽丘駅から徒歩10分
 
○寺町(てらまち)/大阪市天王寺区生玉寺町 
 
なんと60余の寺が密集
 夕陽丘町を含めて寺町に約60余カ寺もあります。谷町筋を挟んだ反対側には四天王寺があり,天王寺区はお寺さんでいっぱいです。一つ一つの寺院は広く、大きい。そのため寺町としての寺域は、京都や奈良をのぞくと日本最大級の寺町ではないかと推定されます。
大相撲大阪場所の稽古場もあります
 豊臣時代の政策で集められたそうですが,今は大相撲大阪場所の各部屋の稽古場になっています。「タニマチ」という言葉も相撲にゆかりのあるこのあたりの住む外科医から生まれたそうです。けがをしても一銭も治療費を受け取らなかったそうです。

坂道ばかりの上町台地
 大阪は平らな町だと思っている人が多いですが,寺町のある上町台地にくると,坂道ばかりで驚きます。地名・生玉(いくたま)の由来は、『日本書紀』にも登場する生国魂(いくくにたま)神社にちなむそうです。
感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 地下鉄谷町筋四天王寺前夕陽丘駅から徒歩10分
 
○下寺町(したでらまち)/大阪市天王寺区下寺町 
 
   
 ▲源聖寺/文化財の多い大きな寺 ▲口縄坂/松屋町筋側の入口 
松屋町筋沿いの26カ寺が景観を維持…
 上町台地の西側下を南北に縦貫する松屋町筋(まっちゃまちすじ) 沿いにある寺町が、地名の由来です。「しもでら」ともいいます。秀吉の政策の一貫で、この上町台地に寺院が集められました。この下寺町だけで26カ寺もあります。台地の上から松屋町筋の下まで、幾通りもの坂道があり、外国人を含め多くの観光客がやって来ます。
通りは大型観光バスの駐車場代わりに!
 そのため松屋町筋は大型観光バスの駐車場代わりになっており、景観をそこなっているのが残念です。
 
感動度★★
もう一度行きたい度★★
交通 地下鉄谷町筋線四天王寺前夕陽丘駅から徒歩20分 
 
○四天王寺(してんのうじ)/大阪市天王寺区四天王寺 
 
路地にも古民家
 奈良・法隆寺とともに聖徳太子が建立に関わったとされる日本でも有数の最古の寺院です。中世には四天王寺周辺には、幾つかの小さな村落が存在していました。それが核となり、文禄3年(1594)には天王寺村が成立したものと推定されます。
道路の拡張で古民家や寺院が撤去
 北側の勝山通りの拡張のために古民家や寺院が撤去の運命に。しかし一歩中に入ると静かな佇まいが見られます。
 
感動度★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 地下鉄四天王寺前夕陽丘駅から徒歩5分
 



『大阪府の古い町並み』へ