田尻町(たじりちょう)

 ○吉見(よしみ)/田尻町嘉祥寺
 
嘉祥寺を中心に発展
 集落は嘉祥寺(かしょうじ)を中心に発展した町ですが,同時に,古くから半農半漁で生計を立てていたそうです。漁業では遠く房総沖(千葉県)方面にまで出かけたという記録が残っています。また農業ではタマネギが特産品。また江戸後期は和泉木綿の生産地として知られていました。
新井白石も『吉見里』と題する漢詩を残す
 迷路のような路地を歩くと,長屋門を備えた重厚な入母屋造りがどっしりと構えているのが見られます。黒の本瓦葺きが美しく,白壁と対照的です。江戸時代中期の朱子学者・新井白石は『吉見里』と題する漢詩を残しています。集落を抜けると埋め立て地には,近代的な集合住宅やりんくうタウンが建っており,新旧対照的でもあります。地名の由来は、宝亀年間に吉見小佐治が開墾したためと言われています。
 
感動度★★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは道端に停めました
 


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