台東区

浅草(あさくさ)/台東区浅草 
 
   
▲雷門/松下幸之助氏の寄進によって1960年に再建。提灯は10年ごとに新調  ▲浅草六区/戦前、戦後を通して浅草盛り場の代名詞となる 
   
 ▲伝法院/もともと浅草寺の宿坊  ▲伝法院通り/土産物屋がズラリと並ぶ
   
 ▲初音小路/刑事ドラマ定番のロケ地 ▲公園本通り/通称ホッピー通り 
   
 ▲旅館、料亭などが集中。旧遊里 ▲コリアンタウン/焼肉系飲食店が多い 
   
▲西参道/再開発された新興商店街 ▲曙湯/唐破風と藤棚・昭和24年築 
   
▲美術商・清水本店/明治6年創業  ▲江戸下町伝統工芸館(無料) 
昼間からオープンの酒場
 浅草らしい風景といえば,雷門から浅草寺本堂までの仲見世を含めた光景ではないでしょうか。しかし花やしき遊園地を含めた裏側にまわるといろいろな通りがあります。
 週末の浅草近辺は,あまりの人混みで卒倒しそうです。また競馬の場外馬券所があるので,開催日はかなり混雑します。ただし夕方6時ごろから人がいなくなるほど寂しくなります。
 上の写真をよく見ると,ほとんどが飲み屋街です。しかも昼間から開店しています。そのため昼間の酔客も珍しくありません。だから昼間でも安心して酔える町です。
社寺以外のもう一つの顔
 浅草にはもう一つの顔があります。浅草2丁目あたり,つまりひさご通りの両側は,かつて花柳界でもありました。いまはそのような面影を見ることができません。簡易旅館,カプセルホテル,ビジネスホテル,24時間営業の居酒屋などに変わっています。
 またひさご通りから一歩中に入る浅草2丁目13番,14番あたりは細い路地が続く迷路。そこは韓国系の焼き肉や朝鮮料理の看板が目に付きます。いわゆるミニ・コリアタウンの様相を示しているのです。 
感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★★
 交通 地下鉄銀座線浅草駅から徒歩5分
 
 西浅草(にしあさくさ)/台東区西浅草1丁目
 
   
▲寺町のほかに飲食店や雑貨店なども多い。ただし観光客は少ないです 
参道前の棟割り長屋
 盛り場・浅草の西側に位置する町です。このあたりの寺院は鉄筋で造られたものが多く、それらの寺院で寺町を形成しています。ビル街と同じ感覚で歩けます。しかし東本願寺前参道は2階建ての棟割り長屋が続きます。プレハブの長屋などいろんな住宅が並んでいますが、ちょっと寂しい光景を見せてくれます。
浅草にもある東本願寺
 慶安4年(1651)、東本願寺第12世教如が神田に江戸御坊光端寺を建立。その後、京都・東本願寺の別院となります。明暦3年(1657)の大火で焼失し、浅草に移転してきました。「浅草本願寺」とも「浅草門跡」とも称されるようになります。その後、震災、空襲で焼失。昭和28年(1953)より、順次再建され、現在にいたります。 
感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 地下鉄銀座線稲荷町駅から徒歩2分
 
 元浅草(もとあさくさ)/台東区元浅草
 
   
▲まだまだ残る棟割り長屋  ▲誓教寺/葛飾北斎の墓・都旧跡 
下町の典型的な住宅風景
 元浅草は寺院がとても多い所で,著名人の墓も多い。同時に木造の長屋も多く,下町風情が残ります。東京の戦後の原点ともいえるでしょうか。下見板張りの2階家で,物干し場,玄関回りに植木を並べるなど,典型的な下町の光景。息使いの聞こえる佇まいです。
浮世絵師・葛飾北斎の墓
 誓教寺には、浮世絵師・葛飾北斎の墓と祈念碑があります。墓の側面には、「ひと魂で行く気散じゃ夏の原」が刻まれています。 
感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 地下鉄銀座線稲荷町駅から徒歩7分
 
松が谷(まつがや)/台東区松が谷 
 
   
▲涼源寺/明暦の大火後に当地へ  ▲矢先稲荷神社/馬の天井画に注目 
   
▲聖徳寺/玉川兄弟の墓があります  ▲曹源寺/通称かっぱ寺で有名 
   
▲正定寺/伊豆長八の墓がある  ▲かっぱ橋道具街/外国人客も殺到 
わずかに寺院街も形成
 松が谷は旧北松山町,松葉町の“松”と旧入谷町の“谷”をとって名付けられました。また江戸時代,松葉町には三十三間堂があり,火災で焼失後は深川に移転。いまでいう松が谷2~3丁目付近です。いまでも寺町を形成しています。ただ隣接するかっぱ橋道具街があまりにも有名なので,松が谷は忘れられているのが実情。
「かっぱのミイラ」が展示
 実際に寺院は多いのですが,町家自体には風情がありません。古民家は現代住宅や低層ビルの合間にわずかに見られます。かっぱ寺で知られた曹源寺には、「かっぱのミイラ」が展示されています。 
 感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 地下鉄銀座線田原町駅から徒歩10分
柳橋(やなぎばし)/台東区柳橋 
 
   
▲旧原歯科医院/昭和3年(1928)築・木造2階建て。竹中工務店設計・施工  ▲柳橋芸者・市丸姐さんの旧宅。昭和21,22年ごろの和風建築。見学可能
   
▲モルタルの旧古民家が見られます  ▲篠塚稲荷神社/地元の守り神です 
柳橋芸者・旧市丸邸が残る
 神田川が隅田川にそそぐ所に柳橋があります。橋のたもとに柳が植えられていたことから,名付けられたという説が近いとか。それは江戸時代から明治にかけてこの地の俗称となりました。そして花街として栄え,万八楼,亀清など多くの料亭が,さらに川沿いには船宿がズラリと並んだのです。今では、隅田川・屋形船の出発地になっています。
泉鏡花『婦系図』
 「春の夜や女見返る柳橋」とうたった正岡子規,泉鏡花『婦系図』(おんなけいず)の舞台にもなっています。また小林清親ら多くの画家たちのテーマにもなりました。いまも往時の面影が少し見られます。
感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 JR総武線浅草橋駅から徒歩10分
 
 東上野(ひがしうえの)/台東区東上野5丁目
 
   
▲看板住宅も数多く残っています  ▲棟割り長屋がまだまだ残っています 
   
▲最も平均的な2階建ての木造住宅 ▲銅板葺きも古くなると時代を感じるす 
   
▲旧上野下アパート裏にある銭湯  ▲下谷神社/天井画は横山大観作 
まだまだ残る古い町並み
 ひとくちに上野といっても,上野公園から寛永寺の裏手まであまりにも広すぎます。ここでは、JR上野駅の東側、仏壇街のある東上野を中心に歩きました。歩いていて気がつくことは,意外にも古い家がまだまだ残っているということです。もちろん戦後の建物ですが,戦前の建物も多く,銅板葺きなどは趣があります。特に地下鉄稲荷町駅の地上部は近代建築です。
講道館柔道発祥の地で超名人の墓も多彩
 永昌寺には明治15年に講道館の創始者・嘉納治五郎が最初に道場を開いたところで、講道館柔道発祥の地碑が立ちます。法善寺には、『江戸名所図会』を編さんした斎藤長秋・莞斎(かんさい)・月岑(げっしん)三代の墓があります。源空寺には天文学者で測量家・高橋至時(しとき)と弟子の伊能忠敬の墓があります。また文人画家・谷文晁、侠客・幡随院長兵衛の墓と多彩です。 
感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 JR山手線上野駅から徒歩5分
 
上野(うえの)/台東区上野2丁目 
 
   
▲堺屋酒店/昭和4年築。修復あり  ▲台東区内を走る観光路線バス 
江戸時代には老舗が軒を並べる
 春日通りと仲町通りの狭い地域をかつて「池之端仲町」(いけのはたなかちょう)といいました。もとは寛永寺の門前町でもありました。江戸時代は本郷に通じる唯一の通りで,老舗も多く鴎外や漱石の小説にも多くのの店が登場します。小物の「大槌屋」、「日野屋」、煙草の「住吉屋」、袋物の「越川」、櫛の「十三屋」、酒悦の「香煎茶屋」、「守田宝丹」、錦袋円(きんたいえん)の「勧学屋大助」など老舗が連なります。錦袋円とは万病に効くという薬、酒悦とは酒の肴や珍味。
仲町通り沿いの近代建築
 で、この仲町通り沿いに貴重な近代建築が残っています。黒沢ビル(昭和5年築・写真上)は半円形の窓の庇が特徴。1階入口のステンドグラスが美しい。ステンドグラス作家・小川三和の作品です。 
感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 JR山手線上野駅から徒歩8分
 
池之端(いけのはた)/台東区池之端 
 
   
▲池之端の裏手には路地がおもしろい  ▲日本料理席「ふるかわ庵」昭和13年築 
   
▲横山大観記念館/東京大空襲後昭和29年に再建  ▲旧岩崎邸洋館/国の重要文化財・明治29年築
江戸時代は出会い茶屋が密集
 不忍池(しのばずのいけ)のほとりあることから名付けられたとか。上野台地と本郷台地の間の谷底にある町です。江戸時代から出合い茶屋が多く,ひと目を偲ぶ男女に愛用されていました。近年,交通の便の良さから,マンションやビルが林立しだしました。
貴重な近代木造建築が数軒
 しかしビルの谷間に歴史的木造建築が残されており,なかでもギャラリー藍染(写真上)は現在でも個人住宅として使われています。門を含めて昭和5年(1930)築,内装に凝っており,照明器具なども当時のまま使われています。
感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 地下鉄千代田線根津駅から徒歩5分
 
上野桜木(うえのさくらぎ)/台東区上野桜木1丁目 
 
   
▲長い塀や見越しの松が点在  ▲近代木造建築もあちこちに見られます 
   
 ▲迷路に入ると,意外に無人の家屋が目に付くのです ▲ちょっと奥まった路地に入ると近代木造建築が健在です 
下町の高級住宅地
 明治初年、上野花園町から分離独立した町です。隣接する上野公園とともに桜が多かったものと推測されます。このあたりは田端方面まで続く上野台地の一角にある下町の高級住宅地です。今はマンションが林立しています。
●かつては寛永寺の寺領
 江戸時代,このあたりは寛永寺の寺領でもありました。桜の木が多かったということから命名されたとか。寺院も多く,裏通りはとても静かです。歩いていて、下町とはちょっと違う雰囲気です。 
感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 JR山手線鶯谷駅から徒歩7分
 
日本堤(にほんづつみ)/台東区日本堤 
 
   
▲まだまだ古民家が残っています  ▲銅板葺の看板建築も多い 
   
▲今は公園となっている旧山谷堀  ▲近くの山谷のドヤ街がふるさとです 
ドヤ街とソープ街に挟まれた町
 山谷のドヤ街や吉原のソープ街に挟まれた地区です。山谷堀にそって,2本の堤が築かれ,この2本が転訛したという説もあります。このあたりは吉原通いの道となり,土手八丁と呼ばれるなど賑わいました。
日本橋のダンナ衆が舟を急がせた旧山谷堀
 江戸時代,吉原をめざして、日本橋のダンナ衆が舟を仕立てて日本橋川から隅田川,そして山谷堀に入って,舟を急がせる様子を描いた浮世絵が残っています。いまは土手通りに数軒の戦前の建物(登録文化財・上の写真)が残っており行列のできる店として知られています。 
感動度★
 もう一度いきたい度★★
 交通 台東区北メグリン吉原大門下車すぐ
 
千束(せんぞく)/台東区千束4丁目 
 
   
▲屋根や破風,窓に特徴があります  ▲典型的なデザインです 
   
▲掲示板に「吉原遊女を弔う」の記事 ▲吉原弁財天/観音菩薩像がある 
「新吉原」の面影が見える
 「吉原」といえば,多くのTVドラマや映画に登場した所です。江戸時代は日本橋人形町付近に形成されましたが,市街地の拡大や明暦の大火で,この地に移転。そこで「新吉原」と呼びました。戦後,GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令で,遊郭が廃止され特飲街になり,さらに昭和33年売春防止法の成立で,吉原は消滅。とはいうものの,いまはソープランド街として残っています。
特飲街のころの建物が残ります
 また裏通りには,特飲街のころの建物がそのまま残り,住宅として使われています。特飲街とは特殊飲食店街の略称で、遊郭が崩壊した戦後、見た目を飲食店にし、娼妓を女給と名を変えて営業。当局からも半ば黙認されていました。
●写真撮影には十分注意してください 
感動度★
 もう一度いきたい度★★
 交通 台東区北めぐりん吉原大門下車徒歩5分
 
鳥越(とりごえ)/台東区鳥越1丁目 
 
   
▲看板建築も数多く残っています 戦前からの建物も残っています 
   
▲おかず横丁の入口  ▲地元の守り神・鳥越神社 
名も知らぬ鳥から浅瀬を知る
 奥州の安部貞任らの反乱(前九年の役)鎮圧のためこの地を通った源頼義,義家父子は名も知らぬ鳥が超えるのを見て,浅瀬を知り,大川(隅田川)を渡ったということから鳥越大明神と名付けたそうです。そこからこのあたりを鳥越の里と呼ぶようになりました。
おかず横丁の色々民家
 また別名・おかず横丁といわれ,その名はかなり知られるようになってきました。銅板葺きの民家や色を塗った看板建築もあったりで,実に楽しい民家巡りができます。夕方の買い物客に混じって歩くのもいいかもしれません。
感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 都営地下鉄大江戸線新御徒町駅から徒歩8分
 
 小島(こじま)/台東区小島2丁目
 
   
 ▲木造2階建ての町家が健在です ▲銅板葺き2階建てが点在しています 
三味線掘りを掘り起こした土で沼地を埋めた町
 旧浅草小島町です。近世に入ってこの地は沼地でしたが,浅草猿屋町の名主・小島酉之助の先祖が,三味線堀川筋の掘削工事で掘り起こした土を使って沼地を埋めたそうです。そこで小島町と名付けたとか。鳥越川の掘削工事でできた堀が三味線堀ですが,堀の形が三味線に似ていたそうです。
戦後の建物ばかりです
 町内はほとんど戦後のたてものです。一部銅板葺きや蔵造りなどが見られますが,大半は木造モルタルです。江戸末期には松前藩上屋敷など幾つかの大名屋敷があったところです 
感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 都営地下鉄大江戸線新御徒町駅から徒歩3分
 
 根岸(ねぎし)/台東区根岸
 
   
▲東京下町の典型的な庶民の2階家  ▲金杉通り沿いに蔵造りの町家 
   
 ▲ねぎし三平堂/三平一門が住んでいる ▲板張りの住宅もまだ多い 
風俗店が密集する最近の根岸1丁目
 最近の根岸、特にJR山手線沿いはラブホテルの乱立と同時に、外国人女性の「客引き」の多さに、かなりイメージがダウンしています。さらに鶯谷駅南口は、千束(台東区)のソープランド街の送迎客の待ち合わせ場所で、乗用車の出入りが頻繁です。しかし駅周辺の押し寄せる風俗店の波は、言問(こととい)通りを越えることはありません。そこには根岸小学校があるからです。すなわち法的にもかろうじてラブホテルや各種風俗業の進出を防いでくれています。
 根岸小学校はかつて「下町の学習院」と呼ばれており、根岸小→忍岡中→上野高→東大というコースが昔からありました。
三平一門はいまも元気に根岸にいます
 かつて昭和の落語王・故林家三平は高座で「根岸の里からやってきました」といい、このフレーズが当時かなり有名になりました。いまでも三平一門は根岸に居を構えています。「ねぎし三平堂」も見どころです。江戸時代の根岸は日本橋あたりの大店の別宅のあったところで、なかには愛妾を囲っていたとか。
空襲から逃れた奇跡の建物
 また金杉通りに沿ったところに数軒の土蔵造りの商家(写真下/根岸3丁目))が残っています。戦災にもあわずかろうじて残ったところです。子規庵や書道博物館は根岸2丁目にあります。 
感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 JR山手線鶯谷駅から8分
 
 谷中(やなか)/台東区谷中
 
   
▲まだまだ煉瓦塀が残されています  ▲樹木があふれる通りも歩きました 
   
▲電柱には「猫町」とあります  ▲下町特有の2階家の棟割り長屋 
   
▲迷路の果てに見つけた井戸  ▲谷中墓地の一角を歩きます 
   
▲夕焼けだんだん/夕陽を見るために石段に座るとか  ▲谷中銀座/下町の商店街。近年は観光客も多くなったそうです 
   
 ▲朝倉彫塑館(旧朝倉文夫邸)/国の登録文化財  ▲岡倉天心記念公園/史跡記念の六角堂が立つ
   
▲大正5年築のカヤバ珈琲の店舗  ▲旧銭湯の柏湯をギャラリーに改装 
残された静寂の下町
 通称“谷根千”(やねせん)と呼ばれる所の“谷”の部分にあたります。谷中はふだんから観光客の多いところですが,朝はジョギングする人以外、あまり見かけません。ただし下町の味を楽しみたい人は、午後に出かけるといいでしょう。
谷中霊園周辺に残る古民家
 かつて谷中は何度も歩きましたが、古い家屋は壊されて、マンションに変わっていきます。でも谷中霊園周辺はほぼ昔のままです。生け垣や植栽、現役の井戸もそのまま残っています。また寺院周辺も変わりません。残したいところです。
NHK朝ドラ『ひまわり』の舞台
 2003年9月から放送され、失恋や失業から立ち直り、弁護士を目指して成長していく物語。主演は松嶋菜々子、夏木マリら。主人公が夕焼けだんだんを上り下りする光景が何度も出てきます。最近では2022年5月から再放送されています。 
感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 JR山手線日暮里駅から徒歩10分
 

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