太子町(たいしちょう)

 ○山田(やまだ)/太子町山田
 
   
 ▲格子や虫籠窓などに歴史を感じさる  ▲土蔵にも水切りが見られます
日本最古の官道・竹内街道へ続く
 飛鳥の都(大和)から難波(大坂)を官史が往来した日本最古の官道・竹内街道がココ。この先を行くと奈良県葛城市竹内(奈良県参照)につながります。
 バス停を降りてゆるやかな坂道を歩きます。ハイキングを楽しむ人たちも何人か見られます。10分ほど歩くと、古い建物がちらほらと見ることができます。出格子のある町家や土蔵などが残されています。道幅も往時とほとんど変わらないといわれています。
山田荘は北朝方の中心地に近かったので激戦地!
 中世は山田荘と呼ばれる荘園でした。南北朝時代には、山田荘は南朝方の中心地・石川東条に近かったため、激しい合戦の舞台となりました。当時、二上城・山田などの合戦は北朝方武士の軍忠状(ぐんちゅうじょう)にも見られ、兵火にあったこともわかっています。この頃の武士たちの参陣や戦いの結果、戦歴、軍功などは、軍忠状を解読すればわかります。
 感動度★★★
 もう一度行きたい度★★★
 交通 近鉄長野線喜志駅からバスで六枚橋下車、徒歩15分

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