墨田区

 向島(むこうじま)/墨田区向島5丁目
 料亭「美家古」は平成23年(2011)国の登録文化財となりました
 向島百花園売店  言問団子
▲深蒸し上煎茶セット(300円・向島百花園)  ▲こととい団子(600円・言問団子)
「隅田川の向こうの島」
 江戸時代の向島は野菜等の一大生産地で,大都市・江戸への供給基地でもありました。その後隅田川沿いが観光地になり,船尾遊びが盛んになり,「隅田川の向こうの島」という意味で歓楽地となっていきます。浅草から見ると、“島”に見えたようです。
国の登録文化財・旅館「美家古」
 浅草から隅田川をわたり,川沿いをのんびりと歩くと向島に着きます。向島といえば,芸者です。芸者にはほかに半玉(見習い中),カモメ(アルバイト)とあります。今,料亭も不景気の波に押されています。ときおり老舗の料亭が店をたたんだ,という話は耳にします。写真は平成23年に国の文化財として登録された割烹旅館「美家古」です。 
 感動度★
 もう一度いきたい度★
 東武伊勢崎線曳舟から徒歩10分
 東向島(ひがしむこうじま)/墨田区東向島1丁目
 旧カフェ街
 旧カフェ街  こぐま
 ▲外観は強制的にカフェ風に改築  ▲こぐま珈琲(500円・こぐま)
カフェ風に造られた旧赤線・鳩の街
 戦後,東京大空襲で焼け出された玉の井の業者の何軒かがこの地に移転してきたのが開業の始まり。いわば赤線地帯の誕生です。
 鳩の街の特徴は,警察の指導により,店舗がすべてカフェ風に造られたことです。貸席108軒、娼妓298人という記録があります。
文豪たちが書き残した鳩の街
 洲崎弁天町や玉の井は、ほとんど空襲にあいましたが,鳩の街ではつい最近まで映画のセットのように残されていました。日本人相手だけに米兵の立ち入りは禁止されていました。また多くの文豪たちがこの地を舞台に小説や戯曲を残しています。
女優。木の実ナナの生まれ育った地
 有名な小説として吉行淳之介『原色の町』、永井荷風の戯曲『渡り鳥いるかへる』、『春情鳩の街』。ほかに安岡章太郎、三浦朱門、近藤啓太郎、小沢昭一などが出入りしていました。また女優・木の実ナナがこの地で生まれ育ったことは知られています。 
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 東武伊勢崎線東向島駅から徒歩10分
 京島(きょうじま)/墨田区京島3丁目
 京島-2
 京島-2  京島-4
▲平屋の長屋も健在です  ▲長屋形式の2階家も見られます
 京島-3  京島-5
 ▲高層住宅群もまじかに迫ってくる  ▲キラキラ橘商店街の早朝は静か
京成曳舟駅前は高層街
 京成曳舟駅前は,区画整備が進み高層住宅やショッピング街などが建ち並んでおり,どこにでもある駅前風景を見せています。このあたりは京島1丁目になります。曲がりくねった広めの通りを3分ほど歩くと,バス通りに出ます。そして「たたみ」の大きな看板のある畳屋さんを曲がると,京島3丁目のど真ん中に突き当たります。
迷路のある奇跡の町
 京島は,関東大震災,東京空襲に遭わず,奇跡の町といわれています。特に罹災者が集まったせいか,世界一人口密度の高い町とされた時期もありました。
 京島3丁目は,区画整理が進まないせいか,昔のままの区割りが残っています。まさに迷路のようです。幅1m前後の路地も,れっきとした公道です。いわゆる4m未満の道路がほとんどです。そこで消防車も入れない町の大改造がすすんでいます。
昭和の風景が見られます
 理容室,乾物屋やなどいろんな店も路地の奥にあったりします。まさに昭和の風景が見られます。ただ狭い敷地のために若いファミリー層が出て行き,町内は高齢化しつつあります。 
 感動度★★
もう一度行きたい度★★
交通 京成押上線京成曳舟駅から徒歩10分
 
 玉ノ井(たまのい)/墨田区墨田3丁目
 墨田3
 玉ノ井御殿の石塀  墨田3
▲玉の井御殿の石塀が残されています  ▲商家特有の看板建築です 
 玉ノ井いろ  墨田3丁目
 ▲望楼のある町家は実に珍しい ▲旧カフェではないかと推察
 ●永井荷風の『濹東綺譚』の世界
 永井荷風の世界を思い出します。映画『濹東綺譚』(津川雅彦主演)では,戦前の玉ノ井が克明に描かれています。いわゆる遊郭だったのですが,空襲で焼け出されました。戦後再び,復興されますが,売春防止法の成立とともに,カフェの町として転身していくのです。
玉ノ井御殿の石塀が残る
 墨田3丁目,玉ノ井いろは通りをくまなく歩きました。ほとんどが改装されていて,カフェを感じさせる建物は見つけるのは困難です。しかしR(アール)の付けかた,窓枠,庇などに「ハイカラ」さが見られます。しかし玉の井御殿の石塀が当時のまま残されています。
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 交通 東武伊勢崎線東向島駅から徒歩10分
 両国(りょうごく)/墨田区両国
 吉良邸跡
 両国  両国
 ▲典型的な木造2階建てです  ▲銅板葺の住宅が残っています
 ちゃんこ川崎  
▲ちゃんこ鍋川崎は昭和12年の創業  ▲義士御膳(1050円/玉屋)
 ●相撲,ちゃんこ,吉良邸の町
 両国といえばおすもうさんの町。相撲部屋がたくさんあります。ほとんどがマンションやビルの1階にあって,多角経営することで経済的に安定させているのです。
 続いてちゃんこの看板がいたるところに目に付きます。いちばんの老舗が昭和12年創業の「川崎」(写真左)です。
 そして,なんといっても赤穂浪士が討ち入った吉良邸のあるところです。いまは80分の1の敷地に縮小されていますが,訪れる人は絶えません。相撲.ちゃんこ,吉良邸の町でありました。
明暦の大火で焼け野原
 両国は明暦の大火(振袖火事)で焼け野原になりました。火事のあと,幕府の区画整理が元で現在の碁盤の目のようになりましたが,建物は戦後が中心です。
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 交通 JR総武線両国駅から徒歩10分
 千歳(ちとせ)/墨田区千歳
 
両国橋の架橋で一気に発展!
 江戸時代初期、まだまだ低湿地帯でした。しかし両国橋の架橋で一気に開発が進みます。また竪川の開削も進みますが、洪水や火災で幕府は、一時的に町屋、武家地を青山、大塚方面に移転。隅田川堤防の築造、町場の再整備終了後、元禄元年(1688)に町屋・武家地が及び定められました。
碁盤の目状態の町並み
 竪川に架かる一之橋を渡ると千歳です。江戸時代は“一つ目”と呼ばれていました。いま歩いていますと、低層のビルや看板建築が多く、古民家は数えるほどです。 
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 交通 JR総武線両国駅から徒歩12分

 鐘ヶ淵(かねがふち)/墨田区墨田5丁目
 鐘ヶ淵/池波正太郎原作『剣客商売』の主人公・秋山小兵衛と後妻の名おはると一緒に住む陰宅が鐘ヶ淵です。
 多聞寺  鐘ヶ淵駅前商店街
▲東京都文化財・多聞寺。江戸中期の山門で戦災ものがれた   ▲鐘ヶ淵駅前商店街にも何軒かの古民家が見られます
古道沿いに古民家が点在
 綾瀬川が隅田川にそそぐ下流の淵にあたります。町名の由来は①普門院移転のとき鐘が沈んだ。②綾瀬川と隅田川の合流点が直角に曲がり,大工道具の曲尺(かねじゃく)に似ていると幸田露伴が名付けた。③沈んだ鐘は長昌寺の鐘である,などの説があります。
 多聞寺へ向かう道は街道のようで,両側に民家や老舗などが点在しています。中世の宿場跡もあると言う人もいるとか。鐘ヶ淵の隣は花街・玉ノ井で,戦前は鐘ヶ淵を通っていた通った人も多かったそうです。
池波正太郎の小説『剣客商売』の舞台
 主人公の秋山小兵衛(ドラマでは主に藤田まことや北大路欣也などが演じる)の隠宅があるのは、ココ鐘ヶ淵に設定されています。41歳年下の若妻・おはる(ドラマでは小林綾子や貫地谷しほりが演じる)が舟をこぎ、小兵衛が江戸市中に住む息子・大二郎のいる道場に出かけるシーンは毎回放映されています。のどかな川風景です。なぜ原作者は鐘ヶ淵に秋山宅を設定したのかわかりませんが、今はそんな光景を見ることはできません。ただ実際のロケ地は琵琶湖沿岸の近江八幡市です。また秋山小兵衛宅は、京都市右京区・大覚寺からやや北部にあたります。 
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 交通 東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅から徒歩10分
 立花(たちばな)/墨田区立花6丁目
 立花6丁目
 墨田区の登録有形文化財  僧・秀尊が開基。江戸時代は浅草寺の末寺でした。本堂は鉄筋で,寺務所の破風や板張りの家屋は個性的でみごとです
 ▲旧小山家住宅/大正6年築  ▲東漸寺/文安元年(1444)開基
渡船で下総国・行徳への街道筋
 江戸時代は葛西川村の戸数40の小さな集落でした。東側に中川(今の旧中川)があり,『新編武藏風土記稿』によればここの渡船場を利用して下総国・行徳へ向かう街道があったとか。立花は,幾つかの小さな村が集まってできており,吾嬬神社の祭神・弟橘媛の名前を当用漢字に改めて命名。
見ごたえのある古民家が残っています
 歩いてみますと,旧中川沿いのそびえ立つ堤防がうっとうしく,しかも道が狭く迷路が多い。そんな中,旧小山家住宅やH邸など見ごたえのある古民家が点在。歴史ある町でした。
 感動度★
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 交通 東武亀戸線東あづま駅から徒歩15分

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