吹田市(すいたし)
○山田(やまだ)/吹田市山田東 | |
▲長屋門も改築、増築されています | ▲壁板は縦に張った羽目板張り |
●板張りの古民家群 旧山田村。歴史のある町です。古代、中世の遺跡や古墳から多くの遺物が発掘されています。また大和(奈良県)の春日社の所領でもありました。さらに勝尾寺の支配下にあった時期もあります。そのためか、今でも寺院が多いいのが特徴。江戸時代は、幕府、旗本などの支配下にありました。これは交通の要衝、北部の守りの重要性などを考えてのことです。 ●長屋門のある旧庄屋も残ります 山田川に沿った町並みです。戦前からの建物が多く、板塀、板壁の町家、白壁の土蔵が多く見られます。長屋門のある旧庄屋、トタン葺きに改築した旧豪農など、古民家がギッシリ |
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感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 大阪モノレール山田駅から徒歩25分 |
○南高浜(みなみたかはま)/吹田市南高浜町 | |
▲背の高い羽目板張りが目に付く | ▲旧家と思われる蔵のある大きな屋敷 |
●貴重な「浜屋敷」と大阪都市景観建築賞 住宅敷地内に入ると,ひときわ目立つのが黒く鋭利な二重の大きな屋根を持つ,いわゆる冑造りの建物が目につきます。江戸時代の庄屋を再生した「浜屋敷」です。浜屋敷の周辺も板塀のある古民家が続きます。歩いていますと、異世界に入った感じです。大阪都市景観建築賞奨励賞を受賞。 ●「吹田渡し口」での絶えない争い 江戸時代は、尼崎と伏見を結ぶ河川交通の中継点、また高槻街道とも交差する要衝でもありました。ただココ吹田渡し口を根拠地とする伏見新船(伏見奉行支配下の船。過書船が古船に対して新しい船)、上荷船(大きな船から荷物を積み替える小さな船)、茶船(船の乗組員に対して飲食物を売る舟)、過書船(関所の通行書を持つ船)、屎船(尿を運搬する船)などが入り乱れており、積み荷をめぐって争いが多かったようです。 |
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感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは道端で停めました |
○内本町(うちほんまち)/吹田市内本町 | |
▲旧西尾家住宅(重要文化財) | ▲長屋門に玄関をつけるなど改築 |
▲江戸時代のままの地割りです | ▲ホリデーランチ(2079円・神戸屋R) |
●地勢的に最重要地のため幕府らが支配 幕府は大坂との位置関係からかこのあたりを最重要視し,一貫して幕府,譜代大名,旗本らによって占められていました。特に吹田南部のこのあたりは,交通の要衝であったことから北部以上に,巨大な領主支配を防ぐための仕組みを講じていたのでしょう。 ●庄屋,豪農の面影が残る 平成21年(2009)に旧西尾家住宅が重用文化財の指定になりました。旧庄屋ですが,このあたりには豪農が何軒かあったようです。5km四方で3200石の米が獲れたといいますから,豪農も多かったのです。歩いていて気がつきますが、豪壮な家の多さに驚きます。 |
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感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR東海道線吹田駅から徒歩15分 |
○片山(かたやま)/吹田市片山町 | |
●板塀の続く迷路の町並み 千里丘陵を背後に控えており「片方だけ山がある」というのが地名の由来とか。中世は大和春日社領。しかし土豪・片山氏の勢力が強かったのも事実です。土蔵や板塀の続く町並みで、駅から至近距離です。 ●江戸時代からの地割りに変化なし 江戸時代は農村地帯で、迷路になっているのは,江戸時代から地割りにあまり変化がなかったというべきです。ところで寛政5年(1793)に農民41人が庄屋・垣太郎の罷免を求める騒ぎが起こりました。しかし、農民の心得違いということで、罷免は取り下げられとか。 |
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感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 JR東海道線吹田駅から徒歩6分 |
○岸部(きしべ)/吹田市岸部中 | |
▲野口家住宅/重厚な長屋門 | ▲旧中西家住宅/市の文化財 |
●古代からの歴史ある集落 旧石器時代から縄文時代にかけて数多くの遺物が集中的に発見されている歴史のある町(岸部北)です。中世、近世は吉志郎(きしべ)と書いていました。江戸時代は高槻藩領。 ●美しい羽目板張りが続く 岸辺駅のすぐ近くに,これだけの歴史的建築物が残っているのはうれしい限りです。歩いていて気がつくのは,板を縦に張った羽目板貼りの美しさです。手入れの行き届いた板貼りは,町の美観に大いに貢献します。これは岸部だけではなく,摂津地方全体にいえるでしょうか。 漆喰塗りの白壁との組合せ,さらに綠の植栽も加わって,町歩きを楽しくさせてくれます。 |
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感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR東海道線岸辺駅から徒歩8分 |