杉並区

高円寺(こうえんじ)/杉並区高円寺南 
 
   
 ▲松応寺/農政学者佐藤信淵の墓 ▲長龍寺/豆腐地蔵尊を安置 
   
▲風林寺/幕末の医者多賀谷楽山の墓 ▲長善寺/30体の神像が揃う
   
▲福寿院/江戸の浮世絵師英泉の墓  ▲宗泰院/子授け地蔵の乳房に注目
   
▲高円寺/三代将軍家光の休息所   ▲日本でただ一つの気象神社
若者の街に意外な寺町
 高円寺といえば「阿波踊り」,小説にもなった「純情商店街」,「フォーク,ロックの町」などで知られています。しかし昭和42年(1977)に歌手・吉田拓郎が『高円寺』という歌を発表したことから、一気に高円寺という地名が知られるようになりました。しかし寺町を形成していることは,あまり知られていません。これらの寺院群は駅の南口側にあり、明治末期から大正期にかけて各地から移転してきました。曹洞宗の寺院が多いのが特徴です。
将軍・家光が高円寺で休憩
 三代将軍・徳川家光が鷹狩りの折り,しばしば高円寺に立ち寄り休憩。いつしか人はこのあたりを寺名の高円寺を地名(以前の名は小沢村)として呼ぶようになったとか。いま寺院周辺のアパート群には多くの若者たちが住んでいます。
●映画『天気の子』の聖地・気象神社
 日本でただ一つしかない気象神社。戦時中、陸軍気象部内に建立されましたが、終戦後高円寺氷川神社が払い下げを受け、末社として祀られています。いま映画『天気の子』の聖地巡りで人気がでています。また気象予報士をめざす人たちの合格祈願で参拝する人が多いとか。NHK朝ドラ『おかえりモネ』にも登場するかも知れません。 
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 交通 JR中央線高円寺駅から徒歩10分
 
阿佐ヶ谷(あさがや)/杉並区阿佐谷北 
 
   
▲屋敷林に覆われた相沢家住宅  ▲昼間でも街灯がついていました 
   
▲地元の守り神の阿佐ヶ谷神明宮  ▲世尊院は室町時代の創建 
鎌倉街道が通ります
 阿佐ヶ谷に鎌倉街道(阿佐ヶ谷道)が通っていたことを知らない人が多いようです。駅南のパールセンターのアーケード街がそれ。ガードを越えて北口側の西友裏の旧道に入ります。
通称「欅屋敷」周辺は異界
 そこに欅(けやき)の繁る相沢家住宅があります。江戸時代は名主の屋敷で,いまは通称・欅屋敷と呼んでいますが,内部はうかがい知ることができません。建物は空襲で大部分が焼け落ち,戦後に再建。屋敷林を含む土地を都が旧跡として指定しています。周囲を歩くと別世界にいるようです。 
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交通 JR中央線阿佐ヶ谷駅から徒歩3分 
西荻窪(にしおぎくぼ)/杉並区西荻南 
 
関東大震災と東京空襲後の大幅なの人口増
 荻窪は2回の大きな変革を体験します。一つは関東大震災後の東京市街地からの罹災者の大移動。このときは人口が爆発的に増えました。一説のは約2~3倍といわれています。2回目は空襲による影響で,東京市街地からの避難民,復員兵,引揚者らと地元周辺の罹災者を併せて,さらに人口が爆発的増えます。
昭和の香りのする“闇市遺産”
 大幅な人口増に対して、収容するための群小アパートが乱立。同時に駅周辺に闇市ができ混沌とした時代を迎えました。今は木造2階屋で,西荻窪はまさに闇市がそのまま発展した“闇市遺産”といえます。  
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 交通 JR中央線西荻窪駅から徒歩2分
 
荻窪南(おぎくぼみなみ)/杉並区西荻南 
 
   
▲昭和30年築の角川庭園の幻戯山房(登録文化財)  ▲M邸・明るい洋風建築。玄関まわりがシンプルに設計 
   
▲M邸・大正13年築。南欧風で「杉並まちデザイン賞」  ▲ギャラリー窓・昭和10年頃貸し室の一部をギャラリー 
   
▲N邸・昭和5年頃築。白鳥のステンドグラス  ▲H邸・昭和8年築。真壁造りで煙突,避雷針は本物 
   
▲Y邸・昭和12年築。白と黒の対比・杉並まちデザイン賞  ▲K邸・松が屋根の高さを超える「見越しの松」 
   
▲N邸・杉皮葺きの壁は珍しい「杉並まちデザイン賞」  ▲M邸・洋風付き和風建築で銅板葺き屋根 
   
▲旅館西郊/昭和13年築の国の登録文化財。一部アパートも兼ねています 
オギ(イネ科の植物)の密集地(?)
 荻窪の地名の由来は,和銅元年(708)に行者がオギを集めて草庵を造ったと言う説とオギの密集する窪地だったなど諸説あるそうです。いずれにせよ,室町時代には荻窪の地名が古文書に載っています。また江戸時代には上荻窪村と下荻窪村に分かれていました。
明治時代は農村集落でした
 明治時代まではダイコン,茶,桑などの生産し,開通した鉄道を使って東京市内に出荷するという農村集落です。しかし一寒村に過ぎなかった荻窪が,関東大震災で市街地からの避難民であふれ,爆発的に人口が増えていきます。
数軒の登録文化財
 昭和30年代以降,宅地の細分化が進み,木造2階建ての群小アパート群が駅周辺に林立しました。しかし駅からやや離れた荻窪の南部は,郊外に住宅を求める人たちの住宅と空襲で焼け残った古民家や瀟洒な住宅とがあいまって個性的な街並みができたのです。
光化学スモッグの発祥地
 昭和45年(1970)に立正高校グランドで女子生徒が次々と目の痛みを訴えたのが,光化学スモッグのはじまりでした。そのため区民の環境に対する意識が一気に高まり,垣根の整備や植樹などが盛んに行われました。そしていまの美しい街並みが誕生するのです。
清潔感あふれる個性的な住宅地
 いま歩いて見ますと、瀟洒な住宅が続きます。決して高級住宅地ではありませんが、美しい植栽と個性的な住宅、清潔感のあふれる町並みとなっています。 
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 交通 JR中央線西荻窪駅から徒歩15分
 
 松庵(しょうあん)/杉並区松庵
 
   
▲淵川家住宅/大正末期築  ▲水口家住宅洋館/昭和元年築
   
 ▲辻家住宅旧主屋/昭和7年築 ▲松庵稲荷神社/地元の守り神です
松庵は医師か僧侶か……
 江戸時代初期,医師の松庵が開発したところから命名されたとか。そして当初は松庵新田といいました。しかも当初から幕府領で,杉並区史によれば,松庵村と称したのは江戸時代中期のころと推定されています。ただ松庵については、明治初期に廃寺となった円光寺の住職という説もあります。いずれにせよいわゆる“新田集落”であったようです。
●昭和初期の住宅3軒は国の登録文化財
 さて、関東大震災の影響で,大規模な人口移動をおこし,交通機関が整備されていた中央線沿いに罹災者が新たに住宅を求めたために開発が一気に進みました。旧杉並町は,8倍の人口増となり,うち昔からの地元民は14%のみ。で,今でも昭和初期の住宅が残されています。
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 交通 JR中央線西荻窪駅から徒歩10分
 
堀ノ内(ほりのうち)/杉並区堀ノ内 
 
   
▲宗延寺/著名人の墓があります  ▲眞盛寺/区指定の文化財が多数
    
▲妙法寺/鉄門は国の重要文化財 ▲妙法寺鉄門/重要文化財・工部省設計
妙法寺中心の寺町を形成
 中世には武士の館があったという説もあります。すなわち室町時代から堀ノ内という名前があったというのは事実。一方,江戸時代からあった妙法寺は,日蓮上人座像があり,厄除けの祖師として江戸近郊の名刹として多くの参拝客で賑わいました。同時に門前町として発展したのです。当時の参道は青梅街道から続いていたものと思われます。
妙法寺の鉄門は、誰が設計したのか?
 狭いエリアに幾つかの寺院が集まり,寺町を形成しています。狭い裏道に入ると,静寂が訪れ、まるで別世界にいるようです。ところで鉄門は妙法寺にあって、明治11年(1878)の建築で、国の重要文化財に指定されています。ところが説明板には、イギリス人教師・ジョサイア・コンドルが設計したと明記されています。しかし文化庁は工部省赤羽工作分局が設計施工した確実な遺構と断言しています。おもしろい!
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 交通 地下鉄丸ノ内線東高円寺駅から徒歩13分
 
大宮(おおみや)/杉並区大宮 
 
   
▲大宮八幡宮/中世の瓦が出土  ▲旧井口家住宅の長屋門 
創建は源頼義の奥州討伐のとき
 江戸時代は旧和田村の字名で一集落でした。しかし地元の守り神・大宮八幡宮の存在がその名を知らしめたのです。武藏三大宮の一つに数えられ,江戸幕府から30石の石高を賜る由緒ある神社。創建は源頼義の奥州討伐の凱旋時だとか。豊臣秀吉方の武将が発給した制札が残されています。
大宮八幡宮参道に古民家
 参道を中心に門前町を形成。しかし今は古民家もほとんど見られません。幾つかの老舗を見ることができますが,現代住宅に建て替えられています。旧井口家長屋門は,杉並区立郷土博物館の入口に兼用しています。
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 交通 京王井の頭線永福町駅から徒歩13分
 
 永福(えいふく)/杉並区永福1丁目
 
   
 ▲永福寺/村名の起源とか ▲永昌寺/兵学者平山兵原の墓碑 
   
▲龍泉寺/四谷南寺町から移転  ▲浄見寺/狂歌師中井董堂の墓あり
   
▲法照寺/市川団蔵歴代の墓がある ▲真教寺/九条兼実の座像がある 
   
▲託法寺/四谷永住町から移転  ▲栖岸院/本尊は聖観音菩薩像 
   
▲善照寺/秀吉の小田原攻めで罹災  ▲永福稲荷神社/木製の鳥居が残る 
関東大震災後に各地の寺院が移転
 江戸時代は永福寺村でした。『新編武蔵国風土記稿』によれば小田原北条氏の家人・安藤式部が主従7人を引き連れてそのまま土着。永福寺の檀家となり、周辺を開墾したそうです。その後「江戸府内」にあった各地の寺院が関東大震災後の復興計画や区画整理事業を理由に移転して「寺町」を形成しました。
本尊の観音像と脇侍は快慶の作品(?)
 永福寺は曹洞宗の寺院です。開基は大永2年(1522)で、秀天慶実が開山。村名も寺院名によっています。本尊は十一面観音像で、脇侍の不動・毘沙門両像とともに、鎌倉期の仏師・快慶の作品と伝えられています。
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 交通 京王線下高井戸駅から徒歩5分
 

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