○神楽坂(かぐらざか)/新宿区神楽坂 | |
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▲石段があったり坂があったりと、江戸時代の迷路がそのまま生きています | |
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▲高級飲食店も裏路地に多い | ▲黒板塀の似合う街角です |
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▲横道に入ると古民家が健在です | ▲路地の奥は高級料亭が… |
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▲寺内公園/このあたりに多くの著名人が住んでいました | ▲神楽坂通り/午前と午後で一方通行が逆になります |
●別世界が広がります 神楽坂も開発の波にもまれています。都内でも有数の料亭街も風前の灯火といえます。本多横町はスナック、バー、居酒屋などが集中する飲食街ですが、その裏手の一画に、静かな料亭街が残っています。クルマも通れないくらいの狭い道、途中には小さな石段があったりして、わずかに往時の町家風景を残しています。 ●芸能人や文士に愛された町です 神楽坂の裏手に小さな公園があります。寺内(じない)公園といい、かつて行元寺という寺院の跡地でもあります。このあたりには、とんでもない超有名人が住んでいました。夏目漱石『硝子戸の中』に、漱石が従兄の住む寺内でよく遊んでいた、若き日の思い出話が出てきます。また喜劇王・柳家金語楼と歌手の・山下敬二郎親子、女優・花柳小菊、俳優・勝新太郎、芸者歌手・神楽坂はん子などが住んでいました。多くの芸能人や文士に愛された町でもあります。 ●都市伝説! 神楽坂通りの“逆転式一方通行” ところで神楽坂通りは午前と午後ではクルマの進行方向が変わります。一説には政治家・田中角栄元首相が国会に向かうのに渋滞に巻き込まれるのがいやで、時間帯によって方向変えさせたとか。これはあくまで都市伝説です。ほかに“逆転式一方通行”は岡山市と足立区にあるようです。 ●石畳と黒塀と格子戸… 石畳をを歩くと、外の騒音から逃れることができます。黒塀と格子戸が続きます。戦後の建物ですが、町割りは江戸時代のものといわれているとか。 |
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感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR中央本線飯田橋駅から徒歩7分 |
○荒木町(あらきちょう)/新宿区荒木町 | |
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▲石段はTVロケによく使用されます | ▲石畳の似合う町にしたいとか |
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▲古民家風の飲食店も見られます | ▲1階が飲食店2階が住居スタイル |
●花街として発展しました 明治初期は桜の名所として知られていて,花見客で賑わったそうです。そのため花柳界として発展し,津の森芸者(津ノ森弁財天から?)の名を生みました。いまはバーやスナック,居酒屋が集中する飲食街として賑わっています。 ●石畳の似合う町並み造り運動 地元の人たちはかつての賑わいを取り戻そうと,「荒木町・石だたみ憲章」を作り,ひとくち2000円で石だたみを敷き景観をよくしよう,という運動をしています。建物はすべて戦後のもので,石段,坂道,路地の多い町だけに石畳が敷かれるととてもすてきな町になると思います。 |
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感動度★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 地下鉄四谷三丁目駅から徒歩5分 |
○若葉(わかば)/新宿区若葉町 |
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●東京三大貧民窟の一つ、「鮫ヶ橋」のあったところ 爽やかな地名とは裏腹に、江戸時代末期から大正にかけて東京三大貧民窟(四大という説も)のひとつで、最大規模であったところです。かつての地名は鮫ヶ橋(さめがはし)と呼ばれていました。一部には鮫河橋とも書いています。周囲は東宮御所、迎賓館、学習院初等科などがある静かな所です。この鮫ヶ橋貧民窟については、多くのジャーナリスト、文豪(永井荷風など)といわれた人たちの作品に登場します。当時の作品には貧民たちの生活が事細かく描写されています。 ●わずかに土蔵が残ります さていま歩いて見ますと、往時の面影は全くありません。というのも関東大震災で一挙に壊滅し、貧民たちは郊外へと移転したからとか。寺院も多く、一種の寺町を形成しています。昭和18年(1943)に町名を若葉町に改正されています。しかし鮫ヶ橋の地名は無くなりましたが、東宮御所の鮫河橋門として残っています。ちなみに他の貧民窟は、下谷万年町、芝新網町です。ちなみに隣接する「みなみもと公園」は、愛子さまの公園デビューの地としてしられています。 |
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR中央線四谷駅から徒歩15分 |
○西新宿(にししんじゅく)/新宿区西新宿1丁目 | |
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▲朝から飲める店もあります | ▲「思い出横町」の入口 |
●再開発の話題もいつのまにか消えます 学生時代「しょんべん横丁」といわれ,くじら定食100円をうまそうに食べたことを思い出します。いまはめったに行くことがなくなりましたが,賑わいは昔と同じで,外国人観光客が多くなったそうです。平成11年の火災で3分の1が焼け,何度目かの高層ビル化の話しが出ましたが,いつのまにか消えました。 ●戸板1枚の「思い出横丁」はいまや文化遺産!? ほとんどが戸板1枚の隣り合わせの店舗。木造のバラックの集まりともいわれる,戦後のやみ市の雰囲気が漂うのです。いまや一種の文化遺産といえるかも知れません。残したいものです。ただ最近、全国規模の飲食チェーンが相次いで進出し、歩いていて「ちょっとガッカリ」感がぬぐえません。 |
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感動度★★ もう一度いきたい度★★★★ 交通 JR山手線新宿駅東口からすぐ |
○十二社(じゅうにそう)/新宿区西新宿4丁目 |
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●大池の周囲は花街として大発展しました もともと地元の守り神・角筈(つのはず)村の熊野神社がありました。ここに十二所権現を勧請していることから十二所と呼んだとされます。世間では何を間違ったのか「十二そう」と読んだのがはじまり。熊野神社の西側に大きな池(大池)があり、江戸時代中期から池の周囲には茶屋が立ち並び、明治以降も花街として大きく発展しました。最盛期に茶屋、料亭など100軒、芸者300人よ擁する一大遊興街となりました。もちろん娼妓もいました。池にはボート、屋形船、花火、釣りなどの娯楽も盛んとなりました。しかし昭和43年(1968)に埋め立てられました。 ●NHK『ブラタモリ』でも大池の痕跡探し 2010年10月24日放送のNHK『ブラタモリ』で、十二社の大池を地元民の証言などを集めて痕跡を探しています。いまはマンション群と迷路のような町並みとなり、往時の面影はありませんが、いくつか旧料亭が残されていました。まさに「聖と俗は裏表」を地で行くような町でもあったのです。 |
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 地下鉄大江戸線西新宿5丁目駅から徒歩5分 |
○歌舞伎町(かぶきちょう)/新宿区歌舞伎町1丁目 |
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●多くの文化人らが安酒で議論に明け暮れました 70年代,作家,詩人,漫画家,映画,演劇などの文化人が安酒を飲みながら議論に明け暮れた所です。直木賞作家・佐木隆三,中上健次らが飲み明かした町でもあります。『不夜城』の著者・馳星周も働いたりと,何かと話題の多い所でもありました。しかしバブル時は地上げ屋が横行し,一気に店の数も減りましたが,最近は世代も変わり,少しずつ往年の賑わいを取り戻しています。 ●簡易木造の「ゴールデン街」も少しづつ雰囲気が変わる? しかし店によっては外国人客で占拠され、雰囲気が変わってきたのも事実です。明るいうちに歩くと,簡易木造2階建てがギッシリ並んでいるのが目に付きます。 |
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 JR山手線新宿駅から徒歩15分 |
○内藤新宿(ないとうしんじゅく)/新宿区内藤町 | |
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▲明治29年築の旧御休所(重文) | ▲御苑は内藤氏の元江戸屋敷 |
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▲太宗寺・銅造地蔵菩薩坐像/江戸六地蔵の1つで都の指定文化財 | ▲太宗寺・塩かけ地蔵/願かけの返礼に塩かけるという珍しい風習 |
●新宿御苑に玉川上水を復元 関東奉行の内藤清成が家康から屋敷地を拝領したのがルーツです。その後,屋敷は没収されましたが,元禄11年高遠藩(信濃)の内藤若狭守の下屋敷となり北側に宿駅が開設され,その後甲州街道最初の宿場町となったのです。また玉川上水の江戸への入口で,水番屋が置かれていました。いま新宿御苑内では,玉川上水の復元も終わり、全長540mの散歩道とともに多くの人たちを楽しませています。 ●内藤家の菩提寺・太宗寺に塩まみれの地蔵 内藤家5代の正勝が逝去の際、葬儀一式を取り仕切ったのが太宗寺(新宿2-9-2/新宿御苑前駅から徒歩3分)。もともと地元住民から信仰を集めていた寺院でした。6代の重頼から寺領として7396坪の寄進を受けました。以後7代目清枚から歴代当主が葬られるようになり、菩提寺となったわけです。 ●かろうじて残る宅地 いま町を歩きますと,マンション群が林立し昔の面影を見ることはありませんが,裏道にわずかですが宅地が広がっています。 |
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感動度★ もう一度いきたい度★★ 交通 地下鉄新宿御苑前駅から徒歩5分 |
○中井(なかい)/新宿区中井 |
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●坂や石段の両側に古民家 落合台地の端に位置し坂の多い町です。急坂や石段に沿って住宅地が多く,古民家も残されています。四の坂沿いには林芙美子記念館があります。『放浪記』、『浮雲』などの作品で知られる作家で、昭和16年(1941)から昭和26年(1951)にその生涯を閉じるまで住んでいた家を記念館にしたものです。 ●上と下の住人が仲良く暮らす説、上と下の中間という説 中井の由来は、古くは上落合と下落合の中間を意味し、井戸が多かったことから中井となった説、また上落合と下落合の住人が仲良く暮らすという意味から仲居ともいったとか。 |
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 西武新宿線中井駅から徒歩10分 |