品川区

 品川(しながわ)/品川区北品川
 品川宿
 緑青がきれいです  品川宿
▲銅板葺きや看板建築など、現代にあって懐かしい建築が見られます 
 品川宿  品川宿
▲多くの人たちは、青物横丁駅から品川駅方面に歩くとか
往時の面影のない品川宿
 東海道で最初の宿場町です。まさに日本一名前の知れた宿場町です。最盛期には1600軒,7000人が住む活気のある宿場でもありました。また北の吉原に対して「南」と呼ばれた色街も栄えました。しかし,今の品川には,かつての面影は全くありません。古い建物といえば,戦後に建てられた建物が数軒,見ることができるくらいです。いま歩きますと、「碑」や「跡」の掲示板が目に付きます。まさに妄想力と想像力が勝負です。
道幅が江戸時代とほぼ同じ
 道幅は江戸時代とほぼ同じだといわれています。また一部ノコギリの歯形状の地割も見られます。また築地でも見られた銅板壁の民家も見られました。緑青がきれいに出ています。
 感動度★
 もう一度いきたい度★★
 交通 京急本線北品川駅から徒歩10分
 北品川(きたしながわ)/品川区北品川1丁目
 北品川の古民家群
 北品川  「北品川の古い民家の家並み」を対岸から見る
 ▲空き家も目に付きますが手入れが行き届いています  ▲旧目黒川・船だまりの対岸から見た古民家群
 ●ビルの谷間の古民家群
 旧東海道品川宿,八山通りを横切ると屋台船や遊漁船などが係留している船だまりにぶつかります。この船だまりは旧目黒川の河口部にあたります。その船だまりに面したところに,突然約20軒近い古民家群が現れます。まるでタイムスリップした感じです。
突然現れる2階建て板張り住宅
 空襲にも遭わずに残った戦前の瓦葺き2階建て板張りの住宅です。実際に歩いて見ますと,きちんと手入れされて住んでおられますが,空き家も目につきます。空き地は駐車場になったりマンション群が迫っています。
 感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 京急本線北品川駅から徒歩10分
 南品川(みなみしながわ)/品川区南品川
 旧東海道
 建築年については,昭和初期,大正年間,明治から大正にかけて,明治41年,等の諸説があります  
 ▲竹内医院/1910年代の建築(?)  ▲品川寺/江戸六地蔵の一つがある
 本堂は寛延4年(1751)築で,区内でも屈指の古さを誇る  
 ▲海徳寺/本堂は屈指の古建築  ▲天妙国寺/家康の入府時に宿泊
 ●旧東海道沿いに寺院が集中し寺町を形成
 青物横丁あたりが,南本宿(後の品川宿)のはずれ。歩いていますと,東海道各宿場の諸団体から寄贈された松が,植えられています。いま改装・改築されていますが古民家も点在していることに気がつきました。また旧東海道沿いは、寺院が集中しており、一種の寺町を形成しています。
行方不明の梵鐘がジュネーブで見つかる
 品川寺(ほんせんじ)に徳川4代将軍・徳川家綱の寄進とされる梵鐘があります。この梵鐘が、パリ万博(1867年)、ウイーン万博(1873年)に展示されたあと行方不明になりました。その後、大正8年(1919)、当時の住職・仲田順海がスイス・ジュネーブ市のアリアナ美術舘に所蔵されていることを突き止め返還交渉を開始。当時の外務大臣・弊原喜重郎などの尽力の末、昭和5年(1930)に返還されたという曰く付きの梵鐘です。平成3年(1991)に品川寺からジュネーブ市に新しい鐘を贈られました。同時に品川区と友好都市となりました。
 感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 京急本線青物横丁駅から徒歩3分
 ゼームス坂(ぜーむすさか)/品川区南品川
 
   
▲旧大井町変電所/現在はJR東日本関係の事業所として使用  ▲日本ペイント明治記念館/1909年築・品川区内最古の様式建築 
状態のよい看板建築群を見ることができます
 元は浅間(せんげん)坂と呼ばれていました。しかもかなりの急坂で片側は切り落としになっていたのです。切り落としの崖の向こうには、品川の海が間近に迫っていました。で、この坂の途中にイギリス人のJ・M・ゼームスが住んでいて、資材を投じて坂を改修し、穏やかにしました。このゼームスは、日本海軍の設立にも尽力した人で、坂の名前の由来となっています。
倒幕派と関係を深めたゼームス
 イギリス生まれのゼームスは慶応2年(1866)28歳のとき、ジャーディン・マセソン商会・長崎支店勤務となり来日。当時、マセソン商会の長崎代理店はグラバーが設立したグラバー商会でした。グラバー商会は、この時期倒幕派の諸藩との関係を深めていました。それらのことから日本との関係を深めていったのです。その後、71歳で横浜の入院先で亡くなりましたが、遺骨は本人の希望で日蓮宗・身延山久遠寺に埋葬されました。
築100年の看板建築「小林自転車店」
 ゼームス坂には比較的状態の良い看板建築が残されています。特に「小林自転車店」、「みの屋海苔店」、「辰己屋」などで、年季の入った銅板葺が見られます。小林自転車店店主の小林さんは「もう100年は経っていますね」といわれました。 
 感動度★
もう一度行きたい度★
交通 JR京浜東北線大井町駅から徒歩5分
 御殿山(ごてんやま)/品川区北品川4丁目
 御殿山のお屋敷街
 現代美術が中心。実業家・原邦造の邸宅でした  
 ▲原美術館/昭和13年築・渡辺仁設計 ▲翡翠原石館/翡翠のことがわかる 
大使館や高級住宅地に変貌
 北品川にはいろいろな顔を見せています。4丁目のココは高級住宅地。江戸時代初期に品川御殿が建てられたのが地名の由来。品川御殿には徳川家光が鷹狩りのときにたずねていました。しかし,元禄初年の火災で焼失。その後は再建されず,広大な芝生となっていました。そこで吉野の桜が移植され,享保期ごろから桜の名所となりました。しかし,幕末になると品川台場を築くための土取り場となり山は崩され,さらに新橋-横浜間の鉄道建設のために,切り通しが横切り,往時の姿は消えました。
 いま各国の大使館や高級住宅地に変貌。静かな町並みです。
原美術館は群馬県・伊香保に移転
 原美術館は2021年1月に閉館しました。もともと個人宅で建物の老朽化し、バリアフリー化が困難なことが理由です。その後、群馬県渋川市伊香保にある姉妹館・ハラミュージアムアークを「原美術館ARC」と改称して展示しています。
 感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 JR山手線品川駅から徒歩15分
 鮫洲(さめず)/品川区東大井
 
 鮫洲-2  鮫洲-4
▲鮫洲といえば都民には「運転免許証の更新所」で有名ですが、歴史のある町 
大きな鮫の中から観音像が出現!?
 旧東海道をしばらく歩きますと,小さな漁師町・鮫洲に着きます。鮫洲は将軍家に新鮮な魚介類を献上する役割を持っていました。
 鎌倉時代,品川沖に浮かんだ大鮫の腹を開いたら,中から木造の観音が出現。これを鮫洲観音と呼ばれ鮫洲の名前が付いたとか。
旧東海道沿いに古民家が点在
 鮫洲といえば、東京の人なら「鮫洲運転免許試験場」で知られています。その試験場へ駅から行くとき、途中必ず横切るのが旧東海道です。その旧東海道には碑や標識,寺院は見られますが,古い家屋は見られません.かろうじて網元の町家(写真左)やいくつかの土蔵造りの商家が見られる程度です。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 京急本線鮫洲駅から徒歩3分
 大井(おおい)/品川区東大井5丁目
 東小路
 東小路  
▲昭和の雰囲気が残されています  ▲ラーメン(600円・永楽)
闇市を彷彿させる街並み
 都内にも戦後の闇市の雰囲気を残すところが幾つかありますが,このJR大井町駅横の東小路もそのひとつ。2本の小路があり,合わせて50軒余のスナック,ラーメンや小料理,居酒屋,寿司屋等々がぎっしり詰まっています。
 最近の傾向として,借り手に中国人が多くなったということで,中国語が乱れとんでいます。またフジテレビに出入りする製作会社の人たちも大勢見かけます。建物は木造2階建てが多いですが,一度建て直しているようです。昼間から飲める店もあります。
残された昭和の香り
 東小路から線路を挟んだ駅前一帯も闇市があったところで,どぶ川の周辺には怪しげな雰囲気の飲食店がぎっしり。しかし30数年前から区画整理が進み,今ではこの東小路のみとなりました。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 JR京浜東北線大井町駅から徒歩1分
 立会川(たちあいがわ)/品川区東大井3丁目
 
土佐藩と深い関係
 駅前の商店街の狭さに驚きます。看板建築が中心で,大部分が戦後の木造モルタル住宅です。この町には土佐藩下屋敷(現・浜川中学校)があり,坂本龍馬はここを拠点にして,浜川砲台の守備にあたりました。ちなみに立会川は,目黒区碑文谷公園内の弁天池が水源です。
坂本龍馬の立像のおかげで一躍「全国銘柄」に
 こんな平凡な町が有名になったのは、坂本龍馬がちょっと関わりがあったということと、「このさい思い切って銅像を建てた」ことでしょうか。都内でも珍しいと思います。
 感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 京急本線立会川駅からすぐ
 南大井(みなみおおい)/品川区南大井
 旧東海道
 鈴ヶ森刑場跡/刑罰は厳しく,10両以上盗めば死刑。伝馬町の獄内で打ち首後,鈴ヶ森で3日間さらされました。火あぶりの刑は,市中引き回しの上,鈴ヶ森で執行。明治3年に廃止されました  浜川橋/通称“涙橋”と呼ばれていました。裸馬に乗せられた罪人は刑場まで護送されました。このとき,親族らはひそかに見送りにきて,この橋で涙を流しながら別れたことから涙橋といわれました。なお下に流れる川は立会川。
 ▲鈴ヶ森刑場跡/慶安4年に開設  ▲浜川橋/昭和9年(1934)築
ポツン,ポツンと古民家が
 旧東海道を川崎に向かって歩きますと,青物横丁あたりが南本宿(南品川宿/後に品川宿となります)のはずれとなります。さらに歩き続けると浜川橋,鈴ヶ森刑場と続きますが,このあたりまで来ると静かな町並みになります。しかしさすがに東海道,家並み,人並みは完全に途絶えることはありません。『江戸名所図絵』の「鈴の森」でも,家並みの前を通る大名行列が描かれています。
家族が陰ながら涙を流した「涙橋」の異名をもつ浜川橋
 立会川にかかる浜川橋は、裸馬に乗せられた罪人と家族が密かに別れたところです。家族が陰ながら涙を流したことから涙橋ともいわれたそうです。いま旧東海道を訪ね歩く人たちが多いですが,あまりの風情のなさにガッカリされています。
 感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 京急本線大森海岸駅から徒歩10分

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