三条市(さんじょうし)

○本町(ほんちょう)/三条市本町 
 
   
▲歴史民俗産業資料館/国登録文化財 ▲つるがや店舗兼主屋/国登録文化財 
   
▲小松酒店店舗兼主屋/国登録文化財  ▲旧今井家住宅/国登録文化財 
幕府指定の河川港は物資の集散地
 江戸時代は三条藩をはじめ多くの領主が幕末までめまぐるしく替わりました。それも,水運は信濃川・五十嵐川の河川港,陸運は北国街道・三国街道の枝宿でもありました。特に河川港は幕府指定の河渡しでもあることから,多くの物資の集散地となったのです。特に金物(和釘など),足袋,染め物は特産品で,東北,関東一円に販売していました。一方陸運では三条宿から五宿への継立てが行われるなど、交易の中心地でした。
中心市街地にも切り妻型
 本町は三条の中心市街地で,金融機関や商店などが軒を並べていました。雁木とともに切り妻型の家屋が並びますが,いまでは現代住宅と混在しています。
 
 感動度★★
 もう一度いきたい度★
 交通 クルマは三之町病院駐車場に停めました
○本寺小路(ほんじこうじ)/三条市本町2丁目  
 
   
 ▲わずかに古民家も点在  ▲娼妓たちが手を会わせた稲荷社  
「東別院」前に広がった旧遊郭
 江戸時代中期、元禄16年(1703)に東本願寺別院が完成し、村上藩主・榊原家が門前に長さ118間(129m)、幅4間(4m36cm)の道路を寄進しました。通りの呼び名もいくつか変わりましたが、京都・東本願寺がこの東別院を新潟県の本寺と呼び、いつしか本寺小路と呼ばれました。その後、裏館村(うらだてむら)田町の農民23軒が東別院前に集まり、参拝者用に旅篭屋を建てて移り住みました。そして多くの人たちが集まるにつれ、三条の中心地となっていったのです。
町のど真ん中にある「三条町遊郭」
 幕末までは古城町にも15軒ほどの妓楼がありました。明治初年、県の指導でこの本寺小路に移転させられました。妓楼は44軒、娼妓は約60人とか。旅篭屋、茶屋、料亭はもちろん妓楼、貸席も乱立し、まさに「聖と俗は背中合わせ」を地でゆくような光景でした。
ただ町のど真ん中にあるために、一般市民に評判が悪く、何かと問題が多かったようです。
小さなお稲荷さんが印象的
 いま路地から路地へ歩いて見ますと、妓楼、旅篭らしき建物が残されています。遊里でおなじみの小さな稲荷神社もあります。表通りの歓楽街とは違って、静かでなにやら悲しげな表情を見せてくれます。
 
感動度★
もう一度行きたい度★
交通 JR弥彦線北三条駅から徒歩15分
 
○神明町(しんめいちょう)/三条市神明町 
 
   
▲雁木のあるおなじみ商店街   ▲旧外山虎松商店/国登録文化財 
ちょっと寂しげな町並みです
 大通りを歩いていて、本町あたりは賑やかですが、西へ西へと歩いているうちに徐々に通り自体が寂れてきます。それにしてもこれほどの差があるのかと愕然とします。一歩裏手に入ると廃屋や空き家が続きます。
神明社付近に古民家
 もともと地元の守り神である神明社付近に町ができたことによるといいいます。新潟県には神明町という町名が多数ありますが、いずれも神明社付近に起立したそうです。
 
感動度★
もう一度行きたい度★
交通 JR弥彦線北三条駅から徒歩20分 
 
○仲之町(なかのちょう)/三条市仲之町 
 
   
▲菅田小路/横道に入ると古民家  ▲旧新光屋米店/国の登録文化財  
路地裏散歩もおもしろい
 神明町からさらに西へ歩きますと仲之町に入ります。蔵の店舗を意識した店構えがあったりします。この町は、路地が至るところあって、それぞれ名前が明記されています。ちょっと横道にそれるのもいいかもしれません。地名の由来は、旧一ノ木戸から成立した林町と下町の中間に位置するところからとか。
古民家の残る菅田小路
 
江戸時代、菅(すげ)が広がってたといわれる菅田小路は、 江戸時代末期は和釘の生産が盛んでした。こぼれ落ちたクギが道路にあふれていたというエピソードが伝わっています。
感動度★
もう一度行きたい度★
交通 JR弥彦線北三条駅から徒歩25分
 
 ○庭月(にわづき)/三条市庭月
 
   
▲遠人村舎/国の登録文化財  ▲諸橋轍次生家/三条市指定文化財 
五十嵐川沿いの小さな集落
 江戸時代は旧庭月村で、村上藩領、後に安田藩領、新発田藩領となり幕末を迎えます。肝煎(きもいり/世話役)は常に2人制で、坂井家と上村家でした。しかしそれぞれ潰れたり、移転したりして絶えず変遷しています。村高も80余石と五十嵐川沿いの小さな集落。
世界的な漢学者・諸橋轍次の出身地
 こんな小さな一寒村が世界に知られるようになったのは、日本を代表する漢学者・諸橋轍次(もろはしてつじ)の出身地であることによります。30余年を費やした『大漢和辞典』は世界的な偉業。文化勲章など、数々の賞をもらっています。生家は文化財に指定されています。『諸橋轍次記念館』では漢字に関するさまざまなイベントが行われています。
2013年に『大漢和辞典の百年』が刊行されました
 『大漢和辞典』は全13巻、収録5万字、1文字目の“一”だけでも72ページを費やしています。2018年にはデジタル版も発売されました。最近『大漢和辞典の百年』(池澤正晃著・大修館書店/3740円)が刊行。戦前、戦後を通して延べ26万人の人たちが出版に携わったそうです。そんな出版に至までの記録が語られています。
 
 感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 クルマは道の駅「漢学の里しただ」に停めました