堺市(さかいし)
○北旅籠(きたはたご)/堺市堺区北旅籠町西 | |
●かつて全国一の鉄砲の産地 堺市の大半は空襲を受けましたが,旧紀州街道の通る北旅籠町の一帯はのがれました。街道の西側の狭い道路に面して軒の低い町屋が残ります。 堺はかつて全国一の鉄砲の産地で,鉄砲鍛冶屋敷・井上家は,堺市の指定文化財に指定されています。 堺鉄砲の技術は,その後も世紀を超えて絶えることなく引き継がれ,自転車や和包丁に変わり,今に引き継がれています。 ●格子窓や虫籠窓のある町家が連なります いま、週末となると多くの観光客で賑わいます。格子窓や虫籠窓のある町家が連なり,古い町並みを形成しています。地名の由来は、旅籠があったことにちなむ。 |
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感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 南海線七道駅から徒歩5分 |
○錦之町(にしきのちょう)/堺市堺区錦之町東 | |
▲山口家住宅/江戸時代前期の町家で国の重要文化財指定 | ▲寺町といっていほど、多くの寺院が集中しています |
●かつて権勢を誇った石山本願寺の“衛星都市”・寺町 現在の阪堺線が走っている通りが大道筋(だいどうすじ)。紀州街道の一部になっており、錦之町は大道筋に面した町並みにあたります。歩いて気がつくのは、寺院が密集していることです。これは錦之町だけではなく隣接する町も同じです。かつて織田信長と激しく対立した石山本願寺は、宗教自治都市として権勢を誇りました。大阪平野の各地に“衛星都市”として寺内町を設けます。堺市もその1つで、豊臣秀吉は寺院勢力の強さを知っているだけに、寺院を移転させ分断を図った結果、このありに集まったのではないかと推定されます。 ●江戸時代初期の町家がそのまま残ります 慶長20年(1615)大坂夏の陣の戦火で、堺の市街地は全焼しました。その後家康は堺の復興に力を入れたのですが、山口家も家康の堺復興の一環として建てられました。国内でも現存する数少ない江戸前期の町家です。その後、増築、修復を重ねました。昭和41年に重要文化財に指定されます。 |
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感動度★★ もう一度行きたい度★★ 交通 阪堺線綾ノ町駅から徒歩5分 |
○栄橋(さかえばし)/堺市堺区栄橋町 | |
▲新明神社/娼妓たちが手を合わせた所。玉垣に妓楼名がズラリ | |
●江戸末期に港の大改造で誕生した“新地” 江戸時代は堺町のうちにあります。文久3年(1863)改正の堺大絵図では大道(だいどう)筋の甲斐町の西方に位置します。大和川から流出する土砂や、寛政7年(1795)堺港大改修工事で発展した地域で、“新町”と呼ばれていました。天保5年(1834)に惣堀に栄橋が架けられました。また当地の西端の旭橋付近は天誅組上陸地点とか。 ●超・大規模な遊郭がありました 天保13年(1842)ごろから遊郭ができました。『全国遊郭案内』(昭和5年刊)によれば、妓楼60軒、娼妓540人というから、かなり大きい。さらに隣接する龍神橋遊郭も『全国女性街ガイド』(昭和30年刊)によれば、妓楼が66軒、娼妓が234人というからスゴイ。一般にあわせて「龍神・栄橋遊郭」といったという。夜ともなれば光が盛り上がったことでしょう。 |
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感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 南海本線堺駅から徒歩5分 |
○金岡(かなおか)/堺市北区金岡町 | |
●竹内街道沿いの集落 堺から奈良県橿原市まで続く竹内街道は,遣唐使や遣隋使も通った,日本最古の官道といわれています。金岡が東方(大和方面)に転じる起点でもあります。道標は至るところ設置されてて,迷いません。地名は金岡神社にちなむとか。 ●昭和初期に軍都として発展 昭和7年(1932)に陸軍第四師団・騎兵第四連隊が移転。さらに昭和9年(1934)陸軍輜重兵(しちょうへい)第四大隊が新兵舎に移転してきました。同時にJR阪和線金岡駅が開設。金岡は昭和に入って軍都に変貌し、かなり賑わいました。 |
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感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマはコンビニの駐車場に停めました |
○百舌鳥(もず)/堺市北区百舌鳥梅北町 | |
●世界文化遺産の百舌鳥・古市古墳群 古くは万代、毛受とも書きました。奈良時代からの歴史のある町です。『日本書記』には仁徳天皇が百舌鳥で猟を楽しんだことが明記されています。また、鹿が走り出てきて倒れ、その耳からモズが出てきて飛び去ったとか。しかし百舌鳥を一躍有名にしたのは,やはり仁徳天皇陵を含む70基に及ぶ大小の百舌鳥古墳群でしょうか。2019年7月6日に世界遺産委員会で正式に世界文化遺産に登録されました。 ●西高野街道沿いの集落 百舌鳥は西高野街道が通っています。西国からの参拝者は,堺港に上陸後,竹内街道と重なりながら,現代の国道310号線にほぼ沿って高野山に向かいます。このあたりは閑静な住宅地が続いており,ところどころ古民家が見られます。 |
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感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 クルマは道端に停めました |
○黒山(くろやま)/堺市美原区黒山 | |
●板塀と白壁が美しい 鎌倉時代の黒山は隣接する旧河内の丹南群一帯は貨幣鋳造の地として知られており,河内鋳物師を輩出しており、本拠地でもありました小豆島(香川県)の長勝寺の鐘や滋賀県の金剛輪寺の鐘にも黒山郷下村在住と明記されています。なお鎌倉時代の黒山は上村,下村の2村に分かれていました。 ●川口邸の13mの保存樹・楠 いまは府道から北側に広がる小さな集落ですが,路地を歩いていますと、両側の土蔵と板塀が落ち着きを与えてくれます。また医院や旧郵便局も残っています。川口邸には堺市指定の高さ13mの保存樹木・楠(写真)が塀越しに見られます。 |
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感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 クルマは道端に停めました |
○浜寺(はまでら)/堺市西区浜寺昭和町 | |
▲板塀と見越しの松が似合います | ▲浜寺公園駅/国の登録文化財 |
●郊外の高級住宅地として発展 浜寺公園は明治初期に開設された海水浴場とともに、大阪近郊のリゾート地として知られています。明治40年(1907)に南海本線が電化されましたが,そのときに建てられた駅舎は今でも使われており,国の文化財に登録されています。大正10年代に海浜別荘地帯として発展し,昭和に入り高級住宅地として人気を集めました。 ●国の登録文化財が3軒 かなり広い敷地に,和館や洋館が点在し,高級感のある独特の雰囲気を醸し出しています。近江岸家住宅と阪之上が登録文化財になっています。 地名の由来は、浜寺(太雄寺)にちなむとか。 |
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感動度★★★ もう一度いきたい度★★★ 交通 南海線浜寺公園駅から徒歩5分 |