佐渡市(さどし)

○相川(あいかわ)/佐渡市相川町 
 
   
▲鉱山関係者が多く住んだ所  ▲旧相川税務署/国の登録文化財 
 ●高台の「上手千軒」は繁栄、浜辺の「下の手」は生活困窮
 相川は金鉱開発とともに発展した町です。佐渡の政治経済の中心地。江戸時代から幕府直轄で佐渡奉行所が統括していました。慶長8年(1603)には、町並み造りが始まりました。約3,300坪に及ぶ陣屋も造られ佐渡奉行所になりました。鉱山の出入口はもちろん、集落のほとんどの番所が置かれ、警戒の厳しい町となりました。寛永年間(1624~44)には、ほぼ町並みが形成。町名には人名、職名、出身地名のついたものが多かった。鉱山開発の盛んなころは「上手千軒」と称されるほど繁栄しましたが、逆に浜辺は「下の手」と呼ばれ、ほとんどの人が生活に困窮していました。
風情のある坂道や時鐘楼
 高台には一般住宅があり,なかでもかつての繁華街でもあった京町通り,西坂や長坂もすてきな所です。また時鐘楼とそれに続くレンガ塀が知られています。坂道がちょっときついです。
 
感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 両津港からバス相川下車15分
 
○二見(ふたみ)/佐渡市相川町二見 
 
   
▲旧遊郭、妓楼、貸席などが続きます  ▲二見神社参道から眺めた二見集落 
 ●金の積み出し港で賑わう
 南北朝時代「蓋見」(ふたみ)といわれた時期もあったようです。江戸時代はもちろん幕府領。相川で発掘された金を運び出す港でもありました。かつては大変な賑わいを見せていたそうです。もちろん商家や旅籠も多かったのですが,地元の人が旧遊郭(写真)だよ,と教えてくれました。そうすると、旧遊郭だった建物が意外に多いのです。
 建て物は平入の2階屋が続きます。簡素な造りですが,二見本村から二見新町まで約1㎞ほど続きますが,見所はバス停の二見(北)付近です。また町を全体を見渡すには,バス停前の二見神社へ向かう山道の途中から見ることができます。 
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 相川バスターミナルからバスで二見下車
○両津(りょうつ)/佐渡市両津 
 
   
▲両津の市街地はごく普通です  ▲トキの野生保護ステーション・新穂
 ●いくつかの風情ある商家
 文字通り佐渡の表玄関の役割を果たしています。到着した地点は戦国時代,加茂湖と両津湾を境にする礫州上にできた街並みです。
 幕府の政策で,島内の生産された各物産が他国への移出解禁となり,多くの物資が港から全国各地へ積み出されることになって発展したのです。
 のんびりと歩いていますと,商家や廻船問屋などがいくつか残っています。また漁師町「湊」周辺には,軒先で魚を並べている店もあったりで,両津は歩くにもいい町です。地名の由来は夷(えびす)、湊(みなと)の両方の港(津)を合わせた事にちなむそうです。  
感動度★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 両津港から徒歩10分
○畑野(はたの)/佐渡市畑野 
 
   
▲本光寺/日蓮上人の袈裟がけの松  ▲クルマも通らない静かな旧道
 ●裏道に土蔵が少し残る
 真野新町と両津を結ぶ県道から一歩裏手の本光寺脇から入る旧街道沿いにあります。土蔵などが少々と垣根が目に付きます。
 江戸時代は幕府直轄地で,赤泊港へ向かう途中の集落でもありました。また寺社の多いところで,江戸期は寺院が47カ所,神社が21カ所もありましたが,そのほとんどが明治政府による廃仏毀釈によって廃寺となりました。佐渡は農民一揆の多いところで,特に畑野は多く,多くの農民が罪人となったのも特徴。
 明治に入って、寺田、安国寺、畑方、畑本郷、河内の5か村が合併して畑野村を起立。 
 感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 クルマは本光寺の駐車場に停めました
○真野(まの)/佐渡市真野新町 
 
 ●二つの街道分岐の追分宿は史跡の里
 真野は両津に次ぐ町でもあります。小木街道が相川と小木港を結んでいますが,新町はその宿場町でした。さらにここから赤泊港へ向かう梨木街道もココで分岐します。
 新町でひときわ目立つのが森医院の洋館(写真の左端)です。国の登録文化財になっており,設計者は加糖新右衛門です。味噌蔵が明治初期,母屋が明治42年建築で,他は大正から昭和初期にかけて建てられました。なお毎年10月に茶会(800円~)を国分寺本堂と共に森医院本座敷で催されています。
 ところで地名の由来は、近江国の豪族真野氏、また真野郷にちなむという説があります。 
 感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 クルマは真野商工会館駐車場に停めました
○豊田(とよた)/佐渡市豊田 
 
   
▲板張りの古民家がギッシリ詰まる  ▲えんや/情報センターとして活動 
旧マルゴ味噌蔵が残る
  旧小木街道が台地上を通っていますが,少し離れた海岸付近に,木造の旧マルゴ味噌蔵が今も残されています。中をのぞいて見ますと、今はがらくたばかりの倉庫のようです。その向かいにある倉庫の一部を使って「えんや」というショップ兼情報センターとして利用。ところでマルゴというのは、地元のマルゴ食品や佐渡テレビ、マルゴシステムなどマルゴグループの発祥の地です。 
 感動度★★
もう一度行きたい度★★
交通 クルマは裏道に停めました
○小木(おぎ)/佐渡市小木町 
 
   
▲町を歩いていますと、旧妓楼や貸席、茶屋などが見られます  ▲たらい舟/狭く岩礁の多い海岸で貝類を穫るために考案。いまは観光用 
木造2階建ての平入り切妻造が連なります
 佐渡の町々は金山の影響を受けていますが,小木も金山のある相川から海路や陸路で運ばれてきた金を積み出す役目を持っていました。陸路は小木街道を利用して,小木港に運ばれてきた金を対岸の幕府領であった出雲崎まで船で運ぶのです。また松前(北海道)と上方など諸国を結ぶ航路の風待ち港として発展しました。天保12年(1841)の幕末期には家屋92軒,530人の規模でした。
大工さんが「このあたりは遊郭が多かったよ」
 建物は県道沿いに並び,木造2階家が多く,港町らしく出桁造りが多いの特徴です。歩いていますと、繁栄した町にふさわしい妓楼らしき面影も見られます。地元の大工さんが「このあたりの家は遊郭が多かったよ」と教えていただきました。やはり風待ち港というと、どうしても遊郭が繁栄します。この地もそうだったようです。
2024年重要伝統的建造物群保存地区に選定
 円弧状に入江に平行した特徴のある2階家が建ち並びます。享和2年(1802)に発生した地震による隆起が原因です。これらの地形をうまく取り入れながら江戸時代から繁栄したのです。これら等を加味しながら重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。 
感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは港の公園横に停めました
 
○宿根木(しゅくねぎ)/佐渡市小木町宿根木 
 
   
 ▲水路が集落を縦断しています    ▲宿根木を象徴する建物です 
   
▲腰板/漁船の廃材を家屋に利用  ▲軒下飾り/船大工の建てた家です 
   
▲風よけの竹垣に入口があります  ▲宿根木郵便局/村唯一の洋風建築
 ●初めて見た奇妙な集落
 バスを降りると駐車場があり,その奥に竹垣が張り巡らせてあり,その横の隙間から入るような感じでした。中に入ると,今まで見たことのないような光景が広がります。窓は小さく,庭や門がありません.塀もなくただ焦げ茶色の板で外壁を造り,四角形の木箱のような感じがします。窓が小さいだけに,排他的で外敵に備えているような感じさえするのです。壁板に使われるのは、以前は舟の廃材でした。舟の板は頑丈で漁村で多く見られる建築材料です。
 それにしても変わった集落です。集落の中央に小さな川が流れ,かつてここが洗い場で社交場でもあったのです。
 地名の由来は鎌倉時代、宿禰宜と呼ばれる神職・高貴な人が泊まったという説があります。重要伝統的建造物群保存地区です。 
 感動度★★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 小木港からバス宿根木下車

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