新町(しんまち)/青梅市新町 | |
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▲旧吉野家住宅(安政2年築)/幕末の名主階級の民家として価値は高い | |
●生け垣が往時を甦させる 慶長18年(1613),武蔵野地方の最初の開拓村です。武蔵忍城主・成田氏の家臣・吉野織部之助が6年の歳月を費やして開拓した新田です。いまは土地が細分化されています。でも一部屋敷林が残るなど往時の面影を有しています。それにしても今は交通量の多いところです。 |
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感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 JR青梅線河辺駅から徒歩20分 |
塩船(しおぶね)/青梅市塩船 |
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●観音通り沿いに古民家 塩舟とも書きます。鎌倉時代はかなり繁栄したそうです。いまは行楽シーズン以外は静かな集落です。地名の由来は観音が立っている土地が船の形に似ているからとか。諸説あります。また村内の塩船寺が大きな力を持っており、石高4石を拝領しています。小名も塩船寺の幾つかある塔頭がそのまま地名に使われています。例えば、西林坊谷とか梅林坊谷、宝蔵坊谷、北ノ坊谷というふうに。明治に入ると塩船寺に公立耕文学校が開校しています。さて古民家は観音通りに、わずかに見られる程度で、大部分は現代住宅です。 |
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR青梅線河辺駅からバスで塩船観音入口下車、徒歩5分 |
大門(だいもん)/青梅市大門 |
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●旧道沿いに古民家 江戸時代から水田は少なく畑地と山林が中心。さらに後に特産となる青梅縞(おうめじま)の産出は明治に入っても続きます。明治10年代には、約3500反の産出を記録。江戸中期からは“綿税”なるものがあったようです。 バス通りを中心に、交差する旧道がわずかに残っており、そんな旧道沿いに古民家が見られます。改築、改装が行われていますが趣があります。地名の由来は、隣村の塩船観音寺裏参道の大門が、当地にあったからとか、今寺村の報恩寺大門があったからというが、詳細は不明です。 |
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR青梅線河辺駅からバスで吹上中入口下車すぐ |
根ヶ布(ねかぶ)/青梅市根ヶ布 | |
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▲虎柏神社/神域は都の史跡に指定 | ▲ひっそりとたたずむ根ヶ布集落 |
●虎柏神社の裏手に古民家 「ねげふ」とも読んだようです。また根株とも書いたとか。『新編武蔵国風土記稿』によれば、地名の由来は民家がみな山の根株にあるからと明記。江戸時代は幕府領で村高は78石と小さい。いま古民家は、虎柏(とらかしわ)神社の裏手にひっそりと佇んでいました。虎柏神社は、江戸、明治期の面影が感じられ、東京都の史跡に指定されています。 |
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感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR青梅線東青梅駅からバスで諏訪神社前下車、徒歩10分 |
成木(なりき)/青梅市成木 | |
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▲安楽寺/長屋門や鐘楼は茅葺き屋根。東京都文化財や周辺は史跡に指定 | |
●旧成木道沿いに点在 鎌倉時代から続く歴史ある集落。古民家は旧成木道(青梅街道の脇往還)沿いに、かなりの数が点在しており、歩いていると土蔵や切妻型の古民家などが見られます。戦国時代、三田氏の家臣が治めていましたが、三田氏滅亡後は小田原北条にの支配下となります。また豊臣秀吉との戦いに備えて、「陣鐘用の鐘」の借用を命じたという古文書が安楽寺に残されています。さて地名の由来は、樹木が豊かに成育するところからとか、木立が鳴るので成木になったとも言われるが、詳細は不明です。 |
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感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR青梅線東青梅駅からバスで坂久橋下車、徒歩3分 |
黒沢(くろさわ)/青梅市黒沢 | |
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▲柳内産業の旧穀物倉庫/築100年を越える。ドラマなど撮影用に貸し出している | |
●古民家は黒沢川沿い 黒沢川に沿った集落で江戸時代は幕府領。村高は190石余だが、大部分は畑作です。山菜を江戸に出荷していたそうです。特にワラビは特産でした。古民家は、黒沢川沿い、旧道沿いに点在しています。 |
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感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR青梅線東青梅駅からバスで小枕(おまくら)下車、徒歩5分 |
青梅(おうめ)/青梅市本町 | |
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▲下見板張り,切り妻の町家が多い | ▲蔵造りの町家も見られます |
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▲宗建寺/多摩青梅七福神 | ▲昭和幻燈館/昭和のジオラマ展示 |
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▲住吉神社/拝殿庇の彫刻がいい | ▲1階の軒下を店舗にした商家 |
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▲料亭旅館で昔は妓楼でした | ▲“美しい日本の民家”といえます |
●旧青梅街道沿いに点在します 青梅マラソンでは何度か訪ねましたが、普通の日の町並みを見るのは初めてです。どの観光案内にも「映画看板の町並み」とありますが、第一印象は「汚い」でした。看板が薄汚れていて、しかも全部の建物に掲げられているわけではありません。歴史的な古民家に看板はいりません。旧青梅街道沿いには蔵造りに商家が残っています。また平入り2階建ての町家もそこここに残っていました。 それにしても薄汚れた映画看板が目立ちます。そこで最近では5年に一度、看板を塗り替えるようにしているとか。ところで、観光の拠点の一つでもあった土蔵造りの「青梅赤塚不二夫会館」が令和2年(2020)3月27日に惜しくも閉館されました。 |
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感動度★★ もう一度いきたい度★ 交通 JR青梅線青梅駅から徒歩5分 |
森下(もりした)/青梅市森下町 | |
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▲青梅街道沿いには古民家が点在 | ▲蔵や土蔵造りの町家なども多い |
●まだまだ残る古民家 400年以上前に集落が開けていました。街道はもっと多摩川よりに位置していました。1590年の豊臣秀吉による小田原攻めの後、徳川家康が関東に移封されます。そのとき家康が八王子に設けた代官所の出先として森下陣屋を家臣の大久保長安が築いたそうです。江戸時代に入って廃止されましたが、そのときに山寄りに青梅街道を開削。集落が造られ,石灰,木材,織物の集散地として発展したのです。いま歩いて見ますと、虫籠窓や格子のある土蔵造りなど古民家が続き、往時の面影を感じとることができます。 |
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感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR青梅線青梅駅から徒歩10分 |
駒木(こまき)/青梅市駒木町 | |
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▲旧宮崎家住宅/成木8丁目から移築したもので、国の重要文化財 | |
●吉野街道沿いに点在 昭和43年の町名改正以前は、大字駒木野。河岸段丘上にあり、吉野街道沿いの集落です。江戸時代は畑作が中心で、五穀、野菜、綿、タバコ。川魚では多摩川でアユ漁、さらに柿、栗、梨などを江戸へ出荷していました。古民家も街道沿いにわずかに残り、都心への通勤圏内にあたります。 |
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感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR青梅線青梅駅から徒歩20分 |
二俣尾(ふたまたお)/青梅市二俣尾 |
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●青梅街道沿いに点在 戦国時代からある集落です。三田氏が建てた海禅寺は七堂伽藍を備えた古刹。集落は街道と寺の周囲に集まっていました。また産業はスギを中心にした林業ですが、桃の産地で江戸庶民にも賞賛され、かなりの高値で取引されたそうです。そのためか幕府にも献上していました。村高は500石と前後と、このあたりの地域ではかなりの穫れ高を誇っていたようです。 |
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR青梅線二俣尾駅から徒歩3分 |
沢井(さわい)/青梅市沢井 | |
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▲青梅街道沿いの古民家 | ▲江戸中期建築の福島家住宅 |
●「澤ノ井」の町 このあたりは多摩川に注ぐ沢がたくさんあったそうです。ところで沢井といえば澤ノ井の名で知られる造り酒屋の町。今では小澤酒造が切り開いた観光地とでもいえましょう。青梅街道沿いにはレストランが多数あります。行楽シーズンには、駐車待ちのクルマがズラリと並んでいます。江戸時代、夏はアユやヤマメ漁が盛ん。一方、柚(ゆず)の生産も盛んで、馬の背に熟した柚を乗せて江戸まで運んだそうです。 |
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感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 JR青梅線沢井駅から徒歩8分 |
御嶽山(みたけさん)/青梅市御岳山 | |
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▲蔵や板塀に心が落ち着きます | ▲手ごろなハイキングコースです |
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▲かつて御師たちが住んでいました | ▲突然の土産物店群にビックリ |
●山奥に茅葺き屋根が 山岳信仰の厚い地です。いまは茅葺き屋根のある建物が数軒残っています。御嶽神社参拝客と信者たちが宿泊した宿坊が原型です。なかでも馬場家(写真上)は、幕末期に建てられた入母屋造りで、東京都の文化財に指定されています。 御嶽山ケーブルカーを降りて、御嶽神社への参道を行くと宿泊施設や土産物店、食堂などが連なっています。ほとんどが登山客で、縦走する人たちです。もちろん日帰り客の軽装の人たちもいます。それにしても山奥に突然茅葺き屋根が現れたときは、本当にびっくりしました。手軽なハイコングコース。 |
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感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 御嶽山ケーブルカー御嶽山駅から徒歩15分 |