西蒲区(にしかんく)

○稲島(とうじま)/新潟市西蒲区稲島 
 
宿場町らしい雰囲気が漂います
 意外にも古民家がまとまっていることに気がつきました。また道幅が狭く,特にL字型に屈折した街道ではクルマの運転に気を付けることを除けば,宿場町らしい雰囲気を持っていました。
切妻破風の意匠に感動
 この地も他の領地と同じく,多くの領主が統治し,そのまま幕末を迎えたのです。また北國街道沿いで,弥彦神社と新潟との中ほどにあたり,間宿(あいのしゅく)として多くの参拝客で賑わったようです。ただ旅籠や本陣などがあったという記録はありません。それにしても白壁の土蔵や大型の切妻破風の意匠、さらに真壁と板壁の組み合わせの美しさに感動しました。 
 
感動度★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは空き地に停めました
 
○福井(ふくい)/新潟市西蒲区福井 
 
   
▲真壁造りや板目の壁が美しい   ▲佐藤家民俗資料館/旧名主でした 
山麓に位置する集落
 江戸時代の当初は長岡藩領でその後、幾多の領主に変遷。村高も平均500石とごく普通の村と変わりありません。また福井村自体は山麓に位置するため、洪水などの水の被害はありません。が、低地に向かうほど米の収穫が少なくなります。江戸時代後期には米の収穫率は40%と少ない。やはり畑作に向いた土地柄なのでしょうか。
美しい真壁造りが散在
 もともと地元では“ホタルの里”として知られています。格子状の柱と白壁の美しい組合せの真壁造りが散在。旧北國街道の南側に細い道が比較的碁盤の目状に通り,美しい街並みを形成しています。この辺りは、越後でも最も早く開けた地域です。
 
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは佐藤家民俗資料館前広場に停めました
○和納(わのう)/新潟市西蒲区和納 
 
   
▲日本の伝統的な切妻型の真壁(しんかべ)が美しい
藩政に頼らず自らの力で活動する商人たち
 戦国時代から続く歴史のある村でした。上杉家が会津に移封されたあと,江戸時代は越後の各小藩の領主は絶えず入れ替わっていますが,この旧岩室村和納地区も同じです。逆にいえばコロコロ替わる藩政と距離を置き、政治家に頼らず自らの力で活動する商人たちが見られるようになってきます。
伝統的な美しい意匠の町家が続きます
 集落の南北を貫く西川は舟運の要衝で,右岸域にある和納は中継点でもありました。そのため物資の集散地となって,町が発展したと思われます。今は少なくなりましたが,雁木のある切り妻屋根のある町家があちこちに残されています。伝統的な意匠の真壁が美しい。 
 
 感動度★★
 もう一度いきたい度★
 交通 クルマはJA越後中央和納支店駐車場に停めました
○岩室(いわむろ)/新潟市西蒲区岩室温泉 
 
   
▲北國街道沿いの古民家群 ▲旅館・高島屋/国の登録文化財 
北國街道沿いの温泉街
 江戸時代、この地も長岡藩領、与板藩領から実に多くの藩主がコロコロ交代しています。最後は高崎藩領で明治維新を迎えます。
 旧岩室村。閑散期に訪れたせいか,静かな温泉街でした。北國街道の宿場町でもあります。正徳3年(1713)に温泉業が正式に認可。切り傷,打ち身に効能ありとして,江戸後期から越後を代表する温泉になりました。
江戸時代も人気の温泉地で遊女も登場
 農業の傍ら、入湯料を稼ぐものや遊女を置いて入湯稼ぎするものなど続出。さらに村に納める税の使途を巡って、庄屋と村方に騒動が発生。そのためか大庄屋の高島翁左衛門ら村の重鎮たちが処罰されました。温泉はいつの時代も人気が高く、金銭が動くのでしょう。当時は、弥彦神社参拝客の休憩所としての利用が多かったそうです。 
 
感動度★
 もう一度いきたい度★★
 交通 JR越後線岩室駅からバスで岩室下車徒歩5分