長岡市(ながおかし)

○台町(だいまち)/長岡市台町 
 
   
▲飲食店もわずかに見られます  ▲如是蔵博物館/2019年に市に移管
旧台所町は長岡藩の料理番が住んでいたとか
 ちょうど長岡駅東口の裏にあたります。台町は空襲で壊滅状態になったのですが、ココはかろうじて残った所です。江戸時代はもちろん長岡藩領。なかでも料理番が住んでいたところから台所町といわれたとか。それが詰まって台町。
長岡市の中心地に見る風景の落差
 歩いていても、古民家があるのは、ココ一つの通りだけで、ほかの台町は大企業や役所、金融機関などが集まっている長岡の中心地。それだけに風景の落差に興味がわきます。 
 
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交通 JR信越本線長岡駅から徒歩5分
 
 ○地蔵(じぞう)/長岡市地蔵 
 
   
▲地蔵堂/レンガ造りの神社。鈴や鈴緒は中にありました  ▲高橋酒造/赤れんがの酒蔵は国の登録文化財 
三十三体の地蔵が祀られていたそうです
 地蔵1丁目は住宅街としては比較的古からある町です。地名の由来は、もともと33体の地蔵が祀られている地蔵堂があったからとか。いま歩いて見ますと改築、改装、新築など現代風に変わっています。
●レンガ造りの建築がチラホラと見られます
 また一般住宅も、道路側に納屋が張り出したおり、倉庫や駐車場代わりに使用されています。雪国らしいレンガ造りの神社や高橋酒造の酒蔵などが見られます。 
 
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交通 JR信越本線長岡駅から徒歩25分
 
○谷内(やち)/長岡市谷内 
 
   
▲北国らしい風情を見せています  ▲常安寺/上杉謙信が創建した古刹 
切り妻と雁木のある商店街
 旧栃尾市の中心地。昔のガイドブックには,繁華街と明記されています。河川が多く、水運に恵まれています。かつて平頼盛が掘らせたという4つ清水があります。谷内とは湿地の多かった所を意味するとか。
雪国らしい風景を見せてくれます
 町を歩いていますと、おなじみの切り妻型の町家と雁木の組合せが雪国らしい風情を感じさせます。
 
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 交通 クルマはスーパーしまむらの駐車場に停めました
 
○塚野山(つかのやま)/長岡市塚野山 
 
   
▲長谷川邸/武家の出といわれ、江戸時代は山林地主として代々庄屋を務める。幕末から明治にかけて周囲180町歩の田から4000俵もの小作料を巻き上げた大豪農。屋敷の周囲は堀がめぐらされています。これは一揆をふせぐためだとか、いろいろいわれていました。主屋など国の重要文化財に指定
小千谷街道沿いの宿場町として発展
 江戸時代は幕府領、高田藩領、佐倉藩領、淀藩領など幕末まで幾つもの藩を変遷。別名・銀山街道と呼ばれた小千谷街道沿いの宿場町として発展しました。とくに本陣、問屋を兼任した庄屋・長谷川家は、塚野山郷一帯を所有していた山林地主として莫大な富を築き、「オヤさま」と呼ばれたそうです。
旧道沿いに漆喰の真壁造が続きます
 長谷川家の前が旧道です。この旧道沿いを歩きますと、切妻型の美しいデザインの真壁が続きます。垂直線と水平線が白壁面を分割しているのです。 
 
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交通 JR信越本線塚山駅から徒歩20分
 
○摂田屋(せったや)/長岡市摂田屋 
 
   
▲星野本店/大正末期の建築  ▲越のむらさき/天保3年の建築 
   
▲機那サフラン酒/鏝絵の土蔵  ▲光福寺/長岡本陣があった 
いくつもある地名の由来
 この奇妙な地名の由来はいくつかあります。霊場巡りの信者を接待した無料宿泊所があり、接待屋が転訛したという説。円融寺の寺領で田屋を置いたから接田屋と名付けられたとか。また摂津田屋で瀬の中に田屋を作って農耕を営む地であったからともいわれます。ちなみに田屋とは、田の番をするための小屋、または離れた田のそばに建てた住居用の小屋。万葉の時代からあったようです。
歩いていると酒,醤油,味噌が交代で匂います
 江戸時代は長岡藩領。幕末の戊辰戦争では、本陣が置かれ、西軍の岩村軍艦との会談決裂した河井継之助が、開戦の決意を表明した地でもあります。ところで酒の醸造が盛んですが、もともと金峰神社奉納用に造られました。町を歩くと酒,味噌,醤油が交代で匂う珍しい町です。登録文化財が多数あります。
 
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 交通 クルマは道端に停めました
 
 ○与板(よいた)/長岡市与板町与板
 
信濃川の河川港としても発展
 切り妻型妻入り住宅がズラリと並ぶ町並みです。丈夫な鉄製の雁木も整備されています。江戸時代は与板藩の城下町で,陣屋跡が残されています。肥沃な土地と黒川の灌漑で,良質な米が獲れたところでもあります。同時に信濃川の河川港としても発展しました。そのため大坂への米の移出,新潟,長岡への物資の集積地として多くの豪商が誕生しました。
NHK大河ドラマ『天地人』の舞台
 NHK大河ドラマ『天地人』の舞台で,一時期観光客で大変な賑わいを見せていました。しかしいま歩いていても,シヤッター街と化し、かつての華やかさは見られないのが残念です。
 
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 交通 クルマは道端に停めました
 ○和島(わしま)/長岡市島崎
 
   
▲隆泉寺/良寛の墓や銅像が立つ  ▲木村家/良寛が晩年を過ごした 
●島崎川の舟運の中心地
 島崎は旧和島村の中心地で,島崎川の舟運の物資集散地でもありました。大きな寺院や学校,美術館などが集まっています。長岡市と合併後は,このあたりも含めて一般に和島と呼ばれ,良寛の里と言われます。江戸時代の旧和島村には、なんと27か村もの集落がありました。
●良寛の里・はちすば通りの古民家群
 良寛を仏道や歌の師として仰ぎ接した貞心尼は,数年後良寛の最期をみとりました。その後貞心尼は良寛との交流を『はちすの露』にまとめました。「はちすば通り」は,蓮の葉の上で揺れる朝露のきらめきを2人の交流に例えたのが,小路名のいわれです。
 
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 交通 クルマは良寛維宝堂駐車場に停めました
 
○山田(やまだ)/長岡市寺泊山田 
 
   
▲土蔵も板張りで覆っています  ▲十二神社/12の祭神を祀ります 
板張りの民家が並ぶ
 出雲崎宿と寺泊宿の中間にあり,高札場が設けられました。また巡見使のための茶屋や屋敷もありましたが、元禄年間(1688-1704)に焼失したそうです。いま海岸ではどこでも見られる切り妻型の下見板張りの古民家が並んでいます。
県下に100以上あるといわれる十二社神社もあります
 
ところで新潟県は全国でも神社の多い所でも知られています。そのなかでも十二神社は100社以上あるといわれており、このあたりは集落ごとに祀られています。 
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 交通 クルマは山田海岸磯浜広場駐車場に停めました
○野積(のづみ)/長岡市寺泊野積 
 
   
▲西生寺/新潟県屈指の古刹で、即身仏(ミイラ)霊場として知られています  
板張りの家屋が並ぶ
 古くから酒造りが盛んで、久安年間(1145~50)ごろ西生寺門前の約300軒の家があり,家ごとに酒造りを行ない野積酒といわれ,越後一の銘酒といわれていました。新酒を出すときは、西生寺境内の口開け石に注いだそうです。
多くの杜氏を輩出し、全国各地へ出稼ぎ
 酒とのつながりの深い土地だけに、杜氏もも多く、各地への出稼ぎも盛んでした。江戸時代は近辺に銅が産出,町は大いに賑わったとか。いまは下見板張りの家屋が見られます。
 
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 交通 クルマは道端に停めました
 

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