守口市(もりぐちし)
○守口(もりぐち)/守口市本町 | |
●“堤防上”の宿場町 京街道守口宿を歩くと気がつくのは,街道だけが高台になっているのです。これがいわゆる文禄堤です。秀吉が伏見城と大阪城を結ぶ最短距離の道として,文禄5年(1596)に毛利家,小早川家,吉川家の三家に命じて淀川左岸の堤防を改修・整備した27kmの堤です。しかしいまは度重なる改修で姿を消し,本町あたりの約700mに面影が見られます。つまり堤防の上に宿場町があるといえるでしょう。もちろん、実際は堤防下の平地部分も宿場の範囲になります。 ●一本道の両側に続く古い町並み 虫籠窓のある商家,白壁の土蔵,古民家を利用したレストランも見かけます。古くは森口と書いたとか。地名の由来は、この地に森林があり、その入口にあたるのにちなむそうです。 |
|
感動度★★ もう一度いきたい度★★ 交通 クルマは100円パーキングに停めました |
○桜町(さくらまち)/守口市桜町 | |
●文禄堤から下った平地部分に古民家が散在 秀吉が造った文禄堤を利用した京街道。その京街道から急な来迎坂を下るとそこが桜町です。守口宿は文禄堤上の街村と平地から成り立っていますが、桜町はその平地の一部になります。ただ当時はほとんどが農家ではないかと推定されます。いま歩いて見ますと、道が狭くところどころに古民家が散在している程度です。 ●戦前からあった桜町の町名 ところで大阪府下には桜町という町名はたくさんありますが、大部分は戦後の町名改正で名付けられました。しかし守口では旧守口町の時代、昭和14年に桜町がすでに存在していました。そして戦後、町名の離合集散の果てに、昭和24年の町名改正で、現在にいたります。桜町は276世帯、479人です(平成29年)。 |
|
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 京阪本線守口市駅から徒歩5分 |
○祝町(いわいまち)/守口市祝町 | |
●旧家を思わせる民家が点在 江戸時代・守口宿の平地部分の一画を占めていました。しかし農家が多かったようです。戦前の昭和14年、旧守口町の町名のひとつでした。実際に歩いて見ますと、意外に直線道路も多く、旧家と思われる民家も見られます。 ●旅人も荷物も通過し、宿場機能は衰退します 京街道がすぐそばを通っていますが、利用度の高さは主要街道からはずれつつありました。というのも西国大名の大部分が西国街道を利用し、そのまま京へ。荷物は淀川の船運利用となって、守口宿は通過。大坂からも近く、旅籠も少ない。小規模な集落であったといえます。現在祝町は276世帯、479人で、人口の密集地帯でもあります。 |
|
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 京阪本線守口市駅から徒歩8分 |
○滝井(たきい)/守口市滝井西町 | |
●交通至便! 大阪への通勤圏内 江戸時代は大坂定番役知、幕府領、京都所司代役知(やくち)、摂津高槻藩永井氏預かり地と幕末まで変遷を重ねてきました。それらの歴史的なことはともかく、戦後の昭和23年、町名改正で土居、守口の各一部を合わせて滝井を作り、さらに昭和25年に寿町の一部を編入して現在にいたっています。このあたりは住宅密集地で、大阪への通勤にも便利なところで、マンションなど集合住宅が見られます。 ●こぢんまりとした旧遊郭・滝井新地(千林新地) そしてこの一画に小さな“料亭街”があり、滝井新地と呼ばれています。なかには千林に近いので、“千林新地”と呼ぶ人もいるとか。いわゆる旧遊郭であります。最盛期は50軒近い貸し座敷があったそうです。いまは派手なピンク色に塗ったモルタル2階建てや煉瓦風タイルを貼り付けた店などがありますが、だいたい地味な店構えです。大阪でよく見かける2階建ての棟割り長屋を改造、2階窓ははめ殺し(?)のようにも見えます。 *現役のソープ街です。撮影に注意! |
|
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 京阪本線千林駅から徒歩7分 |