見附市(みつけし)

○見附(みつけ)/見附市本町 
 
   
▲雁木のある北国特有の棟割長屋  ▲板張りの大型家屋が残っています 
   
▲看板建築もかなり残る  ▲切り妻型もアルミサッシで改造 
江戸時代から織物「見附結城」が知られる
 平安時代は,一部が東大寺の荘園,戦国時代は上杉氏の所領,さらに江戸時代は県内の各藩領と変遷を繰り返しました。一方、なんといっても足利から結城織物の技術を導入したため,織物産業が発展。特に天保年間(1830-44)に入ると「見附結城」と呼ばれるほど生産を伸ばし、農家の婦女子の駄賃稼ぎになりました。そのため農業に支障が出始めたために、藩ではたびたび禁令を出すものの、稼ぎの良さから効果はありません。明治に入っても生産は伸び、その生産量は18万反にも及び、125軒もの機屋(はたや)が誕生しています。その後、紆余曲折はあるものの,農業と共に今でも織物は中核産業といえます。
●板張りの切り妻型住宅が見どころ
 本町は,町の中心地で明治初期は見附本町と呼ばれていました。いま中心を外れた1丁目,3丁目には,切り妻型下見板張りの町家がたくさん残っています。また裏道に入りますと白壁や土蔵も見られます。
 町名の由来は町を刈谷田川が貫流することで「水漬け」の転訛説があります。 
感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 クルマは大光銀行見附支店駐車場に停めました