三鷹市(みたかし)

 下連雀(しもれんじゃく)/三鷹市下連雀
 
   
▲山本有三記念館/文豪・山本有三の生家で、数多くの資料が保存展示 
   
▲禅林寺/太宰治の墓がある。桜桃忌  ▲玉川上水/太宰治が入水自殺した
作家・太宰治の面影を探しながら歩く
 三鷹駅南口からは、作家・太宰治の遺構を巡ることができます。古い町並みも禅林寺通りを歩きながら探すことが…、もう見つけることができません。それほど変化の著しい町でもあります。禅林寺には太宰治と森鴎外の墓が向き合っています。また玉川上水に沿って歩くと、山本有三記念館に到着します。洋館は三鷹市の文化財に指定されています。
わずかに近代建築が残るのみ
 さて江戸時代は畑作が中心で平坦な地でもありました。当時の家屋は、江戸に通じる連雀通りに沿いに建ち並んでいました。現在で言えば、都道134号恋ヶ窪新田三鷹線にあたります。いまは交通量も多く往時の面影はありません。 
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交通 JR中央線三鷹駅から徒歩20分
 
 牟礼(むれ)/三鷹市牟礼
 
江戸時代初期は「無礼」と表記
  無礼、無連とも書きました。地名の由来は、山や峰を古語で牟礼というところから、地域の小高い丘の神名山に当てはまるとか。また人の群れる地であるという意味もあるとか。中世は小田原北条氏の家臣で大橋氏が支配したようです。江戸時代初期、無礼村と表記しましたが、文化13年(1815)に牟礼村に改名しました。
●もう牟礼では古民家探しは不可能かも!
 江戸時代末期、化政期(1804-30)には隣の下連雀から久我山(杉並区)への道沿いに約150戸の集落に発展しました。村内には井の頭池があり、神田上水の水源となっていました。また玉川上水も貫流しており、幕府の財政窮乏のおり、これらの維持管理を村人に負わせました。村人たちはその負担増に苦しんだそうです。いまの牟礼は都心への通勤のための住宅団地が建ち並び、戸建ての現代住宅もギッシリ。もう古民家もわずかになりました。
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交通  京王井の頭線井の頭公園駅から徒歩20分