岬町(みさきちょう)

○淡輪(たんのわ)/岬町淡輪 
 
『日本書紀』にも登場する歴史のある集落
 歴史の古い町で『日本書紀』には、「田身輪邑」(たみわむら)の記述があり、いまの淡輪を指しているといわれています。鎌倉時代から室町時代にかけて「淡輪庄」としてその名が見られます。
一種の「古民家博物館」のようです
 江戸時代は常陸・土浦藩領で、陣屋が別所地区に置かれていました。村高は1800石余とかなり裕福ですが、年貢は600石近くも課せられたそうです。一方漁業が盛んで、産物として搬出。また料理屋、旅館が林立し、泉南の一大遊興地として発展しました。いまは迷路と化した町並みは、長屋門、土蔵、白漆喰と板壁の古民家がギッシリと集まっています。一種の「古民家博物館」の様相を呈しています。 
 
感動度★★
 もう一度行きたい度★★
 交通 南海本線淡輪駅から徒歩15分
 
○深日(ふけ)/岬町深日 
 
ナウマン象の化石1000点余が、駅前の宝樹寺に保存 
 『万葉集』をはじめ、多くの歌集、名所図会などにも登場する古くからの景勝地です。とはいうものの、現代において深日を一躍有名にしたのは、紀淡海峡から引き上げられたナウマン象の化石1000余点が、駅前の宝樹寺に保存されてからです。住職が化石大好きだそうです。そのため関西地方では“化石の寺”として知られています。
板塀、板壁のある町並み
 漁村で古来、風待ち港でもありました。で、とりあえず深日御坊と言われ、顕如も滞在した古刹・金乗寺を目標に歩きます。板塀や土蔵、板壁の町家が見られます。また曲がりくねった路地に漁村らしさが見られます。
 
 感動度★★
 もう一度行きたい度★
 交通 南海多奈川線深日町駅から徒歩15分


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