南区(みなみく)

 真金(まがね)/横浜市南区真金町
 
   
▲2階モルタル店舗兼住宅が密集 ▲横浜橋市場/戦後の焼け跡から誕生 
かつての遊里とともに発展
 もともと横浜郊外の畑地などもある普通の町でした。ところが高島町(現在のJR横浜駅東口付近)にあった横浜遊郭が移転するという計画が立ち上がり、様相が一変します。まず明治15年に区画を決定、町名を真金町、永楽町に変更。同時に建設工事が始まり、翌年には建設工事の終わったところから順次移転が始まります。明治21年7月にすべての移転が終了。
負の側面でもある横浜娼妓病院に改名
 貸し座敷数40、娼妓500人とかなり大規模な遊里となります。大正6年には娼妓は800人近くまでふくれあがりました。とりわけ花井楼、常盤楼、金田楼は大手でした。 かしながら負の側面でもある性病が蔓延。明治33年、この地に神奈川黴毒(ばいどく)病院が移転。横浜娼妓病院と改名するほど蔓延しました。
戦後は混沌とした町に変わっていきます
 その後関東大震災、昭和20年の横浜大空襲で遊里はほぼ壊滅します。しかし戦後も一部復活しますが、昭和33年4月売春防止法の施行とともに消えていきました。真金の歴史を考えますと遊里と共に発展したといえます。戦後は都心から焼け出された人たちや、さらに韓国人、中国人などの外国人などの店も建ち並び、混沌とした町になります。この密集した町並みの雰囲気は歩いていても感じることができ、市場や横丁を歩いているととても楽しくなってきます。
落語家・桂歌丸は妓楼「富士楼」の長男
 ところで、なぜ真金という名を付けたのか、たんなる縁起がいいからと推定されますが詳細はわかりません。真金は「鉄」、「純金」という意味です。また落語家・故桂歌丸は、妓楼「富士楼」の長男として生まれています。横浜橋通商店街の名誉顧問もでもありました。
感動度★★
 もう一度いきたい度★
 交通 横浜市営ブルーライン阪東橋駅から徒歩10分