南区(みなみく)

○味方(あじかた)/新潟市南区味方 
 
   
 ▲旧笹川家住宅の白壁の倉庫群/国の重要文化財江戸末期の建築   ▲諏訪神社/拝殿は江戸時代初期築と推定・県の重要文化財指定 
大庄屋・笹川家の圧倒的な力が感じられます
 江戸時代は村上藩領で、旧味方組8か村を束ねる大庄屋が笹川家でした。藩から年貢の取り立てはもちろんのこと、警察、裁判権を与えられていたというから、圧倒的な力を持っていました。そのため新田開発も飛躍的に進展。一方、中ノ口川沿岸に立地するために、永年水害に悩まされていました。これも村上家が先頭に資金をつぎ込み、近隣38ヶ村の庄屋・組頭などとともに水防に力を入れました。
古民家は笹川家住宅周辺に散在しています
 いま笹川家住宅に入りますと、往時の力がわかります。国の重要文化財に指定されていますが、大庄屋の力の片鱗を見ることができます。このあたりは市内の通勤圏にあるなかで、笹川家住宅付近に古民家が散在しています。なお古くは「味潟」と書いたとか。
 
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交通 クルマは旧笹川家住宅の駐車場に停めました
○月潟(つきがた)/新潟市南区月潟 
 
美空ひばりファンの聖地・角兵衛獅子の里
 歌手・美空ひばりファンならご存じかもしれません。映画『とんぼ返り道中』で角兵衛獅子を演じて『越後獅子の唄』を歌った舞台がココなのです。いま「角兵衛獅子の里」として売り出しています。鉄道跡の遊歩道や歌碑、美空ひばり像などもあります。
 月潟商店街を歩きますと、各電柱に「角兵衛獅子の里」のプレートが目に付きます。天明年間(1781-89)には75軒が従事し、角兵衛獅子が全国各地を回っていました。
月潟商店街に古民家が散在
 古民家は商店街のあちこちに板壁の町家、土蔵などが見られます。おしゃれな地名は、散在した潟沼が月に似ていたからとか。
 
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 交通 クルマは道端に停めました
○新飯田(にいだ)/新潟市南区新飯田 
 
   
▲「有願の里」に古民家が点在  ▲表通りは雁木のある町並み 
   
▲円通庵/良寛と有願の像、最後は良寛の膝にもたれて息を引き取ったとか   
江戸時代は水運の基点
 江戸時代初期は新発田藩領から沢海藩領、そして幕府領となり、後に旗本小浜氏の知行となりました。この地は中ノ口川河畔の水運の基点、白根・吉田方面から三条に至る宿駅として町場を形成。江戸末期には、生肴、干物、塩物が行き来しかなり繁栄しました。また梨、桃の栽培も始まりました。一方、水害の発生で困窮者も多く出たのも事実。天保の飢饉では、町に住む人たちが粥手当を受けています。また堤防の決壊で、多くの飯米銭を受けるなど困窮者が多かったようです。
「有願の里」円通庵周辺に古民家
 電柱に「有願(うがん)の里」というプレートが掲げられていました。有願和尚は若い頃から諸国を修行し、晩年は円通庵に住み、子どもたちに手習いを教えたり、社会奉仕に力を入れていました。また書や絵画に優れ、詩歌も巧みでした。そのためか五合庵に住む良寛との交流も深く、20歳の年の差も感じられないくらい親しかったといいます。古民家は円通庵周辺に点在しています。また表通りに出ますと、雁木のある町並みも見られます。
 
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 もう一度行きたい度★★
 交通 クルマは道端に停めました