緑区(みどりく)

小原(おばら)/相模原市緑区小原 
 
   
▲神奈川県下で唯一現存する本陣  ▲街道沿いに古民家が点在 
甲州街道沿いの宿場町
 江戸幕府は急速に甲州街道沿いの宿場を整備しました。小原宿は小仏峠を前にして重要な宿場でした。また吉野宿までの片継ぎの宿場でした。旅籠は7軒あって,身延山参拝客も宿泊したとか。本陣(清水家)は1軒、脇本陣1軒。
諏訪藩、高遠藩、飯田藩、甲府勤番が利用
 神奈川県で現存する本陣です。定紋のついた敷居の高い(式台)玄関がある純和風の豪壮な建物です。4層の甲造りで入母屋風の建築。築200年と推定されています。この本陣は旧北条家の家臣・清水家で、江戸時代は庄屋・問屋を兼務していたそうです。利用していた大名は、諏訪藩、高遠藩、飯田藩、甲府勤番の4つ。毎年秋になると、本陣祭りが開催されて、扮装した大名行列が練り歩きます。
 
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 交通 JR中央線相模湖駅から徒歩12分
与瀬(よせ)/相模原市緑区与瀬 
 
   
▲土蔵など2棟の蔵がありました  ▲旅人を疫病から守った与瀬神社 
甲州街道の宿場町を形成
 与瀬村の歴史は古く,慶長年間(1596~1615)には存在していたとか。甲州街道与瀬宿を形成していましたが,本陣は上宿にありました。代々本陣を勤めたのが坂本家で,先祖は武田氏に仕えたそうです。弘化元年(1844)には,人口566人,114軒,旅籠6軒,茶店や商店などがあり,そこそこの規模だったようです。
土蔵や石垣のある古民家が点在
 街道は20号線をまたいで通っており,いまは宿場町の面影はありません。中央道で中断しているのが残念です。歩いていますと土蔵や石垣,松岡医院の近代建築が目を引きます。地名の由来は、蔵王権現が大和国吉野から呼んだとき、八瀬と名付けられましたが、その後与瀬に転訛したそうです。 
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 交通 JR中央本線相模湖駅から徒歩12分
吉野(よしの)/相模原市緑区吉野 
 
   
▲吉野宿ふじや/郷土資料館です  ▲吉野宿の高札場跡です 
土蔵は江戸時代の遺構
 甲州街道の10番目の宿場町です。江戸と甲府の中間地点にあたります。『新編相模国風土記稿』によれば、江戸から18里、東西1里20町(約6km)、南北1里10町で、神社が13もあったそうです。信州高遠潘や甲府勤番などの参勤交代の常宿でもありました。江戸末期には人口が527人,104軒。本陣,脇本陣があり,旅籠は3軒ありました。しかし明治29年の大火でほぼ全壊,いまは往時の面影はありません。
博物館「吉野宿ふじや」
 しかし,平成3年(1991)に郷土の資料を保存,歴史を守ることから郷土博物館「吉野宿ふじや」がオープンしました。いま焼け残った土蔵が江戸時代の遺構として保存されています。 
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 交通 JR中央本線藤野駅から徒歩20分
関野宿(せきのじゅく)/相模原市緑区小渕 
 
かろうじて残る宿場の面影
 甲州街道を歩いていて,隣の甲斐国に通じる相模国の最後の宿場町です。本陣,脇本陣,旅籠は4軒で内2軒は茶屋も兼ねていたとか。人口は100余人とそこそこ。町並みは1町16間(約140m)とこぢんまりとしています。
明治21年の大火で本陣が焼失
 しかし明治に入ってから幾度かの大火で,いまは往時の面影はあまり見られません。
特に明治21年の大火で、本陣その他の歴史的建造物は焼失。いまは「関野宿本陣跡」の説明板がひっそりと立っているだけです。 
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 交通 JR中央本線藤野駅から徒歩15分
 和田(わだ)/相模原市緑区佐野川
 
   
▲たまに白壁の蔵が見られます  ▲情報発信の陣馬自然公園センター 
旧甲州裏街道沿いの集落
 江戸時代の和田は佐野川村の一集落でした。和田組とも呼ばれていたとか。そして武藏国と相模国を結ぶ重要な甲州裏街道沿いの集落で,多くの商人や旅人が通りました。いまは陣馬山ハイキングコースとなって,いつもハイカーで賑わっています。途中の和田峠(標高688m)は、文字通り国境の峠。人々は頂上でホッと一息ついたとか。また佐野川地区は「日本の里100選」の一つに選定されています。
●旧養蚕農家や蔵も点在しています
 歩いて見ますと,板壁の古民家があちこちに見られます。なかには養蚕農家ではなかったかと思わせる家屋も点在。茅葺きや長屋門はなくなり,蔵も10棟近くまでに減ったようです。
 
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 交通 JR中央本線藤野駅からバスで和田下車徒歩6分
上澤井(かみさわい)/相模原市緑区澤井 
 
江戸時代は幕府の直轄領
 旧澤井村の字名です。『新編相模国風土記稿』には,小名として上澤井が明記されていますが,澤井は見あたりません。戦国時代は小田原北条氏の津久井衆の所領でした。しかし甲府藩との境にあり、甲府の影響もあったとか。江戸時代はすべて幕府直轄となり,その支配は幕末まで続きます。
石積みの上に古民家が見られます
 澤井川に沿った集落で,旧澤井村のなかでは最も上流部にあたります。谷間に位置するため,民家は斜面に石積みを造り,へばりつくように建っています。家屋のほとんどは屋根や窓枠,玄関などは改造されていますが,出桁造りの骨格は残され,養蚕の面影も見られます。
 
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 交通 JR中央本線藤野駅からバスで上沢井下車徒歩3分
 
落合(おちあい)/相模原市緑区澤井 
 
 ●二つの川が落ち合うところで石積みの家屋が多い
 語源の由来は,沢井川と栃谷川とが合流するところ,すなわち落ち合うところという意味です。『新編相模国風土記稿』では小名にあたります。旧澤井村の住居に共通することですが,谷間に位置するため,洪水などを避けるため,比較的斜面の高い位置に,石垣を造っています。そのためわずかな畑作と養蚕,炭焼などで生計を立てていました。
旧養蚕住宅が点在しています
 古民家の妻側の破風は,今はふさがれていますが、空気抜きの跡が見られます。また別荘風のオシャレな建物も目に付くのも特徴です。

 落合は,陣馬登山コースの一つになっており,週末は多くのハイカーで賑わいます。 
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 交通 JR中央本線藤野駅からバスで陣馬登山口下車徒歩3分
 
中里(なかざと)/相模原市緑区澤井 
 
   
▲森川家住宅主屋/慶應年間建築  ▲石井家住宅主屋/国重要文化財 
   
▲佐々木家土蔵/味噌蔵を修理  ▲遠藤家住宅/国登録文化財 
名主の石井家は北条氏の家臣でした
 『新編相模国風土記稿』には、旧澤井村の小名として明記。ただこの地だけは他の集落と違い,幾つかの文化財が残されています。澤井村のなかでも,戦国時代から続く歴史のある村だからでしょうか。特に小田原北条氏の影響が強く,旧家の石井家は家臣でもあり、多くの所領を有していました。そして北条氏滅亡後も当地に居住し,代々名主を勤めあげたのです。
国の文化財2軒が建つ
 沢井川左岸の旧道沿いに幾つかの古民家が並んでいます。白壁の蔵や旧養蚕農家の面影を残す切妻造の建物を見ることができます。また新道沿いにも幾つかの古民家が見られます。国の文化財はとても貴重です。
 
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 交通 JR中央本線藤野駅からバスで中里橋下車徒歩5分 
橋本(はしもと)/相模原市緑区橋本 
 
   
▲牛久保家の長屋門(市の文化財)  ▲香福寺(見張り番所があった) 
 ●八王子往還の宿場町
 八王子往還の重要な宿場町で,人馬の継立てを行った所です。香福寺あたりを上宿,瑞光寺近辺を中宿,境川にかかる両国橋付近を下宿と呼ばれていました。ちなみに両国橋は,武藏国と相模国の両方の国をつなぐ意味から命名。これは東京の墨田川にかかる両国橋も同じ意味です。またこの地は大山道と交差していることから,7月の大山開きのころは,参拝客で賑わったそうです。
長屋門や薬医門のある古民家が残ります
 今歩きますと,大きな長屋門や門構えや板塀のある大きな屋敷が続き,風情が感じられます。なお国道16号線沿いの町並みで,交通量の多さが難点か。 
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 交通 京王相模原線橋本駅から徒歩15分
 
東橋本(ひがしはしもと)/相模原市緑区東橋本 
 
江戸時代は小山村という農村
 江戸時代は小山村といい、鎮守さまが中心に鎮座。この鎮守を中心に宮上と宮下に分かれ、当地は宮上地域にありました。小山村から橋本宿まで30町(約3.3km)離れていました。いまは隣接していますが、当時はかなり離れていたという感じでしょうか。
旧豪農の長屋門や裏道の竹垣・板塀が散見
 東橋本を歩いていますと豪農の長屋門が幾つか残されています。農閑期には養蚕も行ったとか。養蚕も明治に入ると一大産業として発展します。さて裏道に入るとさらに竹垣や板塀の続く旧家が見られ、かつては農村地帯であったことがわかります。
 
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 交通 京王相模原線橋本駅から徒歩10分 
平井(ひらい)/相模原市緑区根小屋
 
津久井城下の南部に位置
 古くは根子屋とも書きました。そして『新編相模国風土記稿』の根小屋村の項目を見ると、小名に下平井とあるのみで、詳しい記述は見られません。さて津久井城は中世の城郭として代表される名城。江戸時代は幕府領から小田原領と替わりました。そして城の南部に位置するこのあたりは,城下町として栄えましたが,山深い山村でもありました。現在、津久井城の遺構は、空堀、曲輪、築井が残っていますし、ハイキングコースにもなっています。
●山深い里に老舗の酒蔵
 バスを降りて交通量の多い県道から脇の急坂を下ると平井地区に出ます。串川にかかる平井橋を中心に広がる小さな集落です。串川沿いのわずかな平地に養豚場,養鶏場を営む畜産農家や,重厚な造りを誇る久保田酒造(創業1844年)の建物が点在しています。清涼な空気が凜と張り詰めます。
 
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 交通 京王相模原線橋本駅からバスで無料庵下車徒歩2分
上九沢(かみくざわ)/相模原市緑区上九沢 
 
   
▲旧笹野家住宅/国の登録文化財  ▲旧養蚕住宅も残ります 
江戸時代は水害も多く、貧しい農村
 江戸時代は、武蔵忍藩領、幕府領、旗本の知行地と変遷します。地味(地質)はあまり良くなく、さらに水利も最悪で、しばしば水害にあいました。畑作が中心で甘藷、桑、蕎麦などの栽培が中心。村高も家数が35軒で100石前後と貧しい。
旧養蚕の古民家が点在しています
 そのため農家の余業は養蚕が盛んでしたが、特に女は製糸、機織に力を入れたそうです。養蚕は明治になってさらに発展します。いま歩いていますと、旧養蚕住宅は少し見ら、他の古民家も残っています。
 
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 交通 JR橋本駅からバスで北公園入口下車、徒歩10分

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