○綱島(つなしま)/横浜市港北区綱島台 | |
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▲池谷家住宅/江戸時代名主。現代当主は16代目で桃栽培を普及(綱島東) | ▲諏訪神社/江戸時代初期の創建。甲州武田家家臣ゆかりの神社(綱島東) |
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▲長福寺/文禄元年(1592)に開基 | ▲東照寺/慶安2年(1649)創建 |
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▲富士乃湯/綱島温泉街の生き残りで、ラジウム温泉に入れる銭湯(綱島西) | ▲綱島稲荷神社/綱島公園(古墳)入口にある(綱島台) |
●駅付近は丘陵地帯 綱島の地名の由来は,“綱”は蔓(まん)状の植物を意味したり、また連なるといった意味もあるようです。島は海の島ではなく「川がめぐり流れて,島のようになっている地域」が定説らしい。現在の綱島台を中心にした丘陵地帯を指します。駅付近の地形を見て納得しました。 ●甲斐の武田信玄が乱暴狼藉を繰り返す かつて武田信玄が相模国に侵攻した際,小杉や綱島で乱暴狼藉を繰り返し,諸寺院から寺宝を強奪,「信玄重宝」としたという。歩いていますと、長屋門などのある旧名主の古民家が見られます。 |
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感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 東急東横線綱島駅から徒歩15分 |
○篠原(しのはら)/横浜市港北区篠原町 | |
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▲篠原八幡神社/社殿は天保6年(1835)築。「詩でたどる日本神社百選」に選定 | ▲鎌倉古道・下の道は尾根伝いに走り、両側に比較的古い住宅が点在 |
●えっ! 平家の落人説がある集落??? 歴史のある集落です。地名に関しても、寿永2年(1183)6月、加賀国篠原で平維盛(たいらのこれもり)と木曽義仲の「篠原の戦い」で平家軍が大敗。維盛が当地に逃れ、1村をなし篠原と称したといいます。いわゆる平家の落人の里説です。ところでNHK大河ドラマ『鎌倉殿13人』にも平維盛が登場します。光源氏以来の美貌の若武者といわれ、俳優の濱正悟さんが演じています。 ●鎌倉街道「下の道」沿いに連なる家並み 菊名駅を降りて岸根公園方面へ尾根伝いに歩きます。鎌倉街道「下の道」です。といっても下の道も幾つかの説があります。地元の人たちが推薦する古道です。ただいまは住宅やマンションの開発、道路の拡張で古道が途切れたかと思うと、また現れます。まさに新旧の道が複雑に絡み合います。ちなみに往時の道幅は2m足らずだったそうです。 |
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感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 東急東横線・JR横浜線菊名駅から徒歩20分 |
○小机(こづくえ)/横浜市港北区小机町 | |
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▲小机城址/二の丸広場(左)です。近年、散策路が整備され、歩きやすくなりました | |
●中世の城跡が見られます 小机城は関東管領・山内上杉氏によって永享の乱(1438-39)のころ築城と推定。以後、廃城、修復を繰り返しましたが、最後は秀吉の小田原攻めの後に廃城。つまり鎌倉時代の古文書などに登場する歴史ある所です。いずれも小机城が中心的位置を占めてるようです。そのため小机という地名は、広範囲に使われていました。 ●いまだに悔やまれる「第3京浜で小机城址が分断」 地名は丘陵の崖を意味するなどの由来がありますが、丘を机に見立てた説が有力なようです。古民家はJR横浜線沿いに土蔵などが若干残されています。また小机城址へ向かう途中に点在しています。それにしても往復6車線の第3京浜(国道466号)建設のために小机城址のある丘陵が真っ二つに分断されたのは、いまだに悔やむ人たちが多いようです。 「続日本100名城」にも選ばれました。 |
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感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR横浜線小机駅から徒歩15分 |
○日吉本町(ひよしほんちょう)/横浜市港北区日吉本町 |
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●桃の生産は全国に知れ渡るほど有名でした 丘陵のふもとに旧家が見られます。日吉は旧駒林村で、大正から昭和にかけて農業が盛んで、米作が圧倒的に多かったようです。副業として野菜や果樹、特に桃の生産は後に全国に知れ渡るほどの特産品となりました。 ●住宅街のなかにポツンと旧家があります 町内にある金蔵寺、駒林神社はそれぞれ日吉社を祀っており、地区内の“中心地”にあることから“本町”を付けたのではないかといわれています。旧家はかつての名主とも思われますが、日吉で見られるのも珍しいです。かつて日吉は桃の生産地として知られていましたが、いまは慶応大学日吉キャンパスの地として知られています。 |
感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 横浜市営グリーンライン日吉本町駅から徒歩20分 |
○菊名(きくな)/横浜市港北区菊名 | |
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▲横浜七福神の蓮勝寺・毘沙門天 | ▲横浜七福神の菊名池弁財天 |
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▲妙蓮寺/門前の東急妙蓮寺駅の土地は寺の所有 | ▲江戸時代から用水として活用された菊名池 |
●東急東横線とJR横浜線の乗り換え駅のある所 一般に菊名といえば、東急東横線からJR新横浜駅への乗り換え駅で、特急、急行の停車駅というイメージでした。しかし新横浜駅へは、東急新線や相鉄線が直接乗り入れることができ、乗り換え駅としての印象がやや薄くなってきたという気もします。 ●鉄道の開通で大きく発展します 古くは菊名村といい、江戸時代は神奈川宿の助郷の役割を果たしていました。『新編武蔵国風土記稿』によれば、享保10年(1725)には、家は20軒余が点在し水田が多かったそうです。用水は大豆戸村との境にある菊名池を利用。まだまだ未開の地でもありました。その後、大正時代末期に鉄道が開通。さらに昭和初期に東急電鉄が社有地を分譲し、大きく発展していきます。いまや東京にも横浜にも便利なせいか、郊外住宅地として爛熟期を迎えているといえます。。 ●東京、横浜の郊外住宅地 現代住宅がぎっしり建ち並び、東京、横浜への通勤客の住む町というイメージの強い町です。ただ横浜七福神への参拝客が連なる道は古くからあるためか、ところどころに古民家が見られます。 |
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感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 東急東横線菊名駅から徒歩5分 |