岸和田市(きしわだし)

○本町(ほんまち)/岸和田市本町 
 
「だんじり以外にも見どころはありますヨ」
 岸和田といえばだんじり祭りがあまりにも有名なために、ほかの名所は完全に無視されています。しかし岸和田にも古い町並みがあるのです。観光パンフレットには「本町の街並み」と記されています。
「手づくり郷土賞」受賞と朝ドラ『カーネーション』の舞台
 旧紀州街道沿いで、瓦葺き2階建てで出格子のある町家や商家がずらりと並んでいます。藩政時代、城下町の中心地となっていたところです。地元の人たちは、歴史街道にふさわしい景観づくりを行っています。そこで建設省(旧)より「手づくり郷土賞」を受賞しました。NHKの朝ドラ『カーネーション』(主演・尾野真千子)の舞台となったところです。
 
感動度★★★
 もう一度行きたい度★★
 交通 南海線岸和田駅から徒歩15分
 
○岸城町(きしきちょう)/岸和田市岸城町 
 
   
▲白壁の続く路地や長屋門なども残っています。人通りは全くありません 
岡部家13代250年続いた岸和田藩
 江戸時代は岸和田藩領。藩主の交代はいろいろありましたが、寛永17年(1640)摂津高槻から岡部宣勝が6万石で入封。宣勝は3代将軍家光の信任が厚く、以後の岸和田藩主として定着し明治初年まで13代、230年余にわたって5万3000石で在封しました。ちなみに岸城町は旧城内で、天守閣も同じ住所です。地名の由来は、“岸”和田“城”の名を縮めたものといいますが定かではありません。
駅に向かう途中に白壁や長屋門が見られます
 昭和3年旧藩主より岸和田市に城址を寄贈。以後、図書館や学校、市民会館、市役所、郷土資料館などを建設。いまは官公庁の中心地となっています。しかしなんといっても有名なのは岸和田だんじり祭りで知られる岸城神社が鎮座すること。また城郭から歩いて岸和田駅に向かう途中に、白壁の続く静かな通りがあります。また長屋門のある古民家など、往時を彷彿させます。 
感動度★★
もう一度行きたい度★★
交通 南海線岸和田駅から徒歩15分
 
○蛸地蔵(たこじぞう)/岸和田市岸城町 
 
   
▲蛸地蔵商店街/昭和の香りがします ▲商店街の一歩裏手の長屋です 
   
▲マンサード長屋/モダンな腰折れ式屋根。大正時代の洋風長屋です  ▲蛸地蔵駅/ステンドグラスが印象的。大正14年築、国の登録文化財 
願いにはまず“蛸断ち”が必要です
 蛸地蔵は地名ではありません。天性寺の地蔵を指しますが、いまはすっかり土地の通称名として通ります。大蛸に乗った一人の法師が、数千の蛸を連れて敵をなぎ倒したという逸話が残されています。願をかける場合、一切のタコを食べないという“蛸断ち”が必要だそうです。でも駅近くにはたこ焼きやがあります。
長さ120mの十六軒長屋は圧巻!
 蛸地蔵には大正年間の建築が幾つか残されているということで訪ねました。その1つに十六軒長屋があります。長さ120m、大正11年ごろの建築だそうです。いまは改築、改装しながらも丁寧に住んでおられます。120mも整然と連なる長屋は圧巻でもあります。
大正年間のモダンな建築が見ものです
 もう一つはマンサード長屋。マンサードとは腰折れ屋根のことで、屋根の水はけがよくなるとか、利点はいろいろあるようです。マンサード長屋は十六軒長屋の施工者・中筋組と同じで、大正末期の建築です。さらに平成22年3月に国の文化財に登録された蛸地蔵駅があります。大正14年の建築で、木造平屋建ての小さな駅舎です。蛸地蔵縁起絵巻のワンシーンを描いたステンドグラスが印象的です。 
感動度★★
もう一度行きたい度★★★
交通 南海線蛸地蔵駅から徒歩10分
 
 ○寺町(てらまち)/岸和田市五軒屋町
 
明智光秀の子(?)の肖像画が残されています
 岸和田城下には幾つかの寺町筋が形成されていました。紀州街道整備による移転、中興によるものです。しかし大部分は寺町筋としての雰囲気はないのも事実です。そんななかで駅前から続く商店街からやや左横に入ったところに寺町筋があります。円教寺や本徳寺などいくつかの寺が集まって寺町を形成しているのです。特に本徳寺には明智光秀の子として伝えられる南国和尚が開いたといわれています。そのせいか光秀の位牌と肖像画が残されています。
『だんじり事故&トラブル』を集めたCDはおもしろい
 岸和田は5回目の訪問です。おすすめは、だんじりの事故やトラブルばかりを集めたテープが売られています。これはおもしろい! といっても悲惨な事故集ではなく、おもわず笑ってしまいます。だんじりは毎年9月中旬の土日に開催され,多くの観光客がやってきます。
 
感動度★★
 もう一度行きたい度★★
 交通 南海線岸和田駅から徒歩7分
 
○阿間河滝(あまかだき)/岸和田市阿間河滝町 
 
   
▲土塀や美しい植栽がホッとさせる  ▲旧庄屋宅で長屋門も健在です 
階段状に配置の長屋門
 大阪まちなみ賞を受賞した旧本通りを探すのに苦労しました。かなり奥まったところにあります。この通りは狭い急な坂道になっていて,両側に石垣を積み重ねられ,黒い本瓦葺きのしころ建てという伝統的な建物です。また入口は重厚な長屋門になっており,階段状に配置されているのです。この重厚な建物のつながりが大阪まちなみ賞・奨励賞を受賞した理由です。
坂道の周辺にも古民家が散在
 阿間河滝はここだけではなく,旧庄屋(写真下右)や土蔵なども残されており,時代を超えて町並みを守り続ける住民の強い意志を感じます。奇妙な地名の由来は、旧阿間河荘で、雨降りの滝のそばに位置していたからだそうです。
江戸時代末期にはさつまいもなどを大坂へ搬出
  江戸時代は岸和田藩領。村高は300石前後とわずか。江戸時代末期の安政3年(1856)の記録によれば、甘蔗根付(さつまいも)や黒砂糖なども大坂へ搬出していたようです。
感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 クルマは道幅の広いところに停めました
 
○積川(つがわ)/岸和田市積川町 
 
   
 ▲古い倉庫や工場なども見られます  ▲土壁と板塀の組み合わせがいい 
200mの散策路は別世界です
 乗用車が1台がやっと通れる道が約200mほど続きます。土塀や白壁,板塀,蔵などが周囲の光景にマッチし,しかも道の横には,水路がさわやかな音をたてています。静かでまるで別世界にいるようです。交通の便の悪さがこれだけの状況を残したのでしょうか。
 このあたりは牛滝川と宮川が合流するところで,積川とは川の名前ではなく,川の集合を表しています。一般に川の合流点は「落合」と名付けられますが、ここでは違うようです。町内には積川神社がありますが,井戸の神様を祭っています。そのせいか水がとてもきれいでした。
夏作は米と綿、冬作に麦と菜種を生産
 江戸時代は、はじめは幕府領、その後武蔵国川越藩領、常陸国土浦藩領、清水家領など関東の譜代を中心に支配されていました。村高は300石余で米や麦以外に菜種、木綿
が生産されていました。実は米と綿は夏作、麦と菜種は冬作でお互いに関連していたのです。これは『大阪平野における近世の農業』などの数多くの研究論文が発表されています。その論文には「生産構造」、「流通」、「農村の秩序」、「栽培法」など幅広く、興味深いものばかりでした。 
 感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 クルマは近くのコンビニに停めました


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