河内長野市(かわちながのし)

長野(ながの)/河内長野市長野町 
 
   
▲今も造り酒屋が残ります。虫籠窓が印象的です  ▲東西の高野街道が合流する交通の要衝です 
複数の髙野街道がこの地で一本にまとまる
 平安初期,霊場・高野山に通じる京,大坂,堺を起点にした複数の道が,高野街道と呼ばれ,この河内長野で一本に合流します。その街道はここから西に迂回したあと三日市を通って紀見峠に向かいます。
●街道に寺院や造り酒屋
 街道沿いには,江戸時代の末期創業の造り酒屋。さらに山岳信仰の霊場として有名な金剛寺,観心寺があります。このように,当時を偲ばせる建物が多く残っています。特に室町時代建立の長野神社には,樹齢300年のクスノキなどがあり,かつての街道の面影が残ります。

 地名は、細長く伸びた(長)、ゆるやかな傾斜地(野)に由来。 
感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★★
 交通 近鉄長野線河内長野駅から徒歩7分
 
三日市町(みっかいちまち)/河内長野市三日市町 
 
   
 ▲石積みの旧豪農や商家が続く ▲街道はゆるやかな坂道を上る 
ゆるやかな街道筋沿いに古民家がつながります
 各高野街道が長野町で一本に合流して,いよいよ最後の旅程の紀見峠を越えるわけですが,その峠越えを前にした宿場町です。このあたりはゆるやかなカーブが左右へと続きます。街道筋には中2階虫籠窓や格子戸,漆喰の白壁,板塀など,かつての面影を見ることができます。
天誅組の最後の集結場所
 駅を出てすぐに宿場入口が目に付きます。ゆるやかな下り坂をのんびりと歩きます。この宿場は,幕末に天誅組が大和の五条陣屋を襲撃する前に集結したところでもあります。

 地名の由来は、毎月三日に市が開かれたことにちなむ。 
 感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 南海高野線三日市町駅から徒歩5分
滝畑(たきはた)/河内長野市滝畑 
 
藩主の鷹狩り場なので、比較的優遇されていたとか
 各家の規模があまりにも大きい。石垣をめぐらした民家は豪華そのものです。このあたりは庄屋や村年寄りなど,有力農家が住んでいました。小百姓の訴えや集落同士の争いも絶えなかったようです。やはり大豆,粟,蒟蒻玉,凍豆腐などが中心。また藩主の鷹狩り場で,比較的優遇されていたようです。小百姓(こびゃくしょう)というのは、有力な名主に隷属して、その一部を小作していた下層農民のことです。
江戸時代中期の左近家住宅は重要文化財
 江戸時代中期の民家の遺構をそのまま残しています。特に重要文化財の左近家住宅は特筆されます。ただ滝畑ダム(昭和56年竣工)の建設により,79戸が水没しました。地名の由来は、瀑布が多数存在する、すなわち滝の畑のようである、とか。
 
感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 クルマは滝畑ふるさと文化財の森センターに停めました
 


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