柏原市(かしわらし)
今町(いままち)/柏原市今町 | |
▲旧奈良街道/道幅も往時のままです | ▲寺田家住宅/国の登録文化財 |
●“柏原船営業”で商家が繁栄 平城京以降の旧奈良街道に沿った南北に細長い街道沿いの集落で,歴史のある町でもあります。江戸時代以降は,柏原船営業の商家が栄えました。柏原船営業というのは,寛永13年(1636)から始まった旧大和川洪水の被害地復興のため,平野川に荷船を通して大坂と結び,その収益で荒れ地を開発して収益を得るというものです。最盛期には,70人の商人が活動したそうです。 ●国の文化財2軒が輝く 三田(さんだ)家(写真上・重文)は大坂から移り住んだ商人で,明和3年(1776)当時の建物です。また寺田家は地域の庄屋を務め、「北条屋」として柏原船を営業していました。 |
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感動度★★★ もう一度いきたい度★★ 交通 JR関西本線柏原駅から徒歩10分 |
古町(ふるまち)/柏原市古町 | |
●平野川を大幅に改修 大和川の氾濫の被害はとてつもなく大きく、農業への影響は甚大でした。しかし大坂と結ぶ水運は重要でもあります。そこで大和川に流れ出ていた小さな平野川を荷物の運搬ができるように大幅に改修。いわゆる「柏原船」の運航でした。 ●川沿いの風情ある旧商家群 JR柏原駅を出て右に行くと今町、左に行くと古町。古町筋は今町同様、旧奈良街道沿いの集落ですが、一部は平野川に沿って軒を並べています。格子窓、虫籠窓、蔵など旧商家が、黒の本瓦とともに往時を感じさせてくれます。地名の由来は、市内でも大和川に近く、早くから発展したからとか。 |
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感動度★ もう一度行きたい度★★ 交通 JR関西本線柏原駅から徒歩10分 |
河内国分(かわちこくぶ)/柏原市国分本町 | |
●柏原船に対抗して「国分船」を就航 江戸時代の柏原村は、付近の川を利用した船運などの物流を抑えて「柏原船」を運航させました。これにより柏原村は一気に発展したのです。隣の国分村もひとまわり大きい「国分船」を就航。現在の大和川にかかる国富橋南詰を拠点に活動、村は大きく発展しました。 ●陸運、船運が大きく発展した交通の要衝 また大坂・高麗橋を起点に四天王寺、平野、八尾、柏原村を経て、大和へ抜ける奈良街道が貫いており、物資の運搬も盛ん。しかも国分村から幾つもの街道が分岐しており、まさに陸、船の交通の要衝でした。いま、奈良街道に沿って歩いて見ますと、旧家はもちろんかつての商家らしき豪壮な建物が軒を並べています。 |
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感動度★★★ もう一度行きたい度★★ 交通 近鉄大阪線河内国分駅から徒歩15分 |
太平寺(たいへいじ)/柏原市太平寺 | |
▲板を縦に張り付けた羽目板が特徴 | ▲蔵の水切りが珍しいです |
●文化財の宝庫 生駒山山頂から延びる小さな丘陵上に、古墳時代中期から後期に至る古墳が群在し、太平寺古墳群の名で呼ばれています。『続日本記』にたびたび登場する智識寺は当地に建立されました。その智識寺跡の発掘調査で「蒲萄唐草文鴟尾」(ぶどうからくさもんしび/奈良国立博物館に寄託)が出土、国の重要文化財に指定されています。ところで智識(知識)とは、仏教を深く信仰し、寺や仏像を造るための私財や労働力を提供した人々のことです。 ●太平寺という寺はもうありません 地名は寺院名ですが,今はありません。聖武天皇や孝謙天皇が礼仏した智識寺の支院とされていますが,確証はありません。ただ室町時代までその存在が確認されています。江戸時代,綿や甘蔗,ぶどうなどの産地で,近くに東高野街道も通り,流通の便は良かったとか。また大和の信貴山から河内平野に出る最も南の重要ルートでした。 ●ギッシリ詰まった古民家群 一つの地域に古民家がぎっしり詰まっており,実に充実した散策でした。この地方独特の羽目板張りと漆喰の白壁が路地に似合い,清涼感を覚えました。なお同じ町内で営業する柏原ワインの貯蔵庫は,国の登録文化財です。 |
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感動度★★★★ もう一度いきたい度★★★★ 交通 クルマはスーパーニューフレッシュ万代に停めました |