河南町(かなんちょう)

大ケ塚(だいがつか) 
 
大念寺を核にした寺内町
 小高い台地に形成された集落で,竹内街道や舟運で大坂にも通じる石川も近く,交通の要衝として発展しました。その後寺内町(じないまち)として発展しましたが,江戸時代後半は寺内町の色が薄れ,地域農産物の集散地として町場化して市場も立ちました。
 元禄年間(1688-1704)には約500軒以上の民家や商家があったとされ,“商売繁盛の地”といわれるようです。

商家などが残り往時を彷彿させます
 当初の町割りの骨格が残っており,ところどころに虫籠窓のある商家,板張りと漆喰塗りの蔵が見られます。地名の由来は、源左衛門など4人が開墾時の塚に似ている説、根来寺の大河将監の墓・大河塚説などがあります。
感動度★★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 クルマは大念寺の無料駐車場に停めました
 

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