神奈川区(かながわく)

●神奈川(かながわ)/横浜市神奈川区東神奈川 
 
   
▲良泉寺/外国公館の依頼を拒否  ▲成仏寺/ヘボン博士の宿舎 
   
 ▲普門寺/イギリス士官の宿舎  ▲慶運寺/フランス領事館に使用 
   
▲田中家/江戸時代から続く老舗  ▲甚行寺/フランス公使館に使用 
   
▲浄瀧寺/イギリス領事館に使用  ▲本覚寺/アメリカ領事館に使用 
   
▲街道から海寄りに少し入る台場公園付近に民家の密集地帯があります 
   
▲神奈川宿/横浜市歴史博物館で再現されていました  ▲料亭・田中家/明治7年坂本龍馬の妻・おりょうが働いていました
白壁と松並木が見られる旧“大宿場町”
 慶長6年(1601)東海道に伝馬制度が定められた頃からの歴史ある宿場町です。しかも規模が大きい。寺領を含め,宿全体の総石高は1728石にも及ぶとか。長さは2kmに達し,天保14年(1843)には1341軒,5793人,本陣2軒,旅籠は56軒,助郷村も34か村にも達したとか。
明治維新後、各国が領事館設置を要求!
 これだけ町が大きいと,何かと便利なので,明治維新後各国は領事館の設置を要求。いま歩いていますと山門横の石碑が往時を語るのみです。「歴史の道」として,松並木を再現しています。古民家が見られないのは残念です。地名の由来は、あまり水の流れない「上無川」が「カナガワ」になった説など、いっぱいあります。
 
感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 京急本線神奈川新町駅から徒歩10分
 
●幸ヶ谷(こうがや)/横浜市神奈川区幸ヶ谷 
 
『新編武蔵国風土記稿』には青木町の小名で明記
 古くは橘樹(たちばな)郡神奈川町大字青木でしたが、明治34年、横浜市に編入の際、青木町になりました。昭和7年町境、町名の整理の際、青木町の旧字名・幸ヶ谷と横町の一部で設定された町。『新編武蔵国風土記稿』には、青木町の耕地の小名に幸ヶ谷が明記されています。地名の由来は不明ですが、“高ヶ谷”、“荒ヶ谷”などが推定されます。
ほとんど戦後の建物ばかり
 江戸時代は、神奈川町とともに東海道神奈川宿を形成。といってもかなりの外れにありました。幕府領で青木村全体で村高は700石余。古民家と称する家屋はなく、ほとんど戦後の建物ばかりです。京浜急行線の踏切近くにわずかながら見られます。
感動度★
もう一度行きたい度★
交通 京急本線神奈川駅から徒歩10分
 
●六角橋(ろっかくばし)/横浜市神奈川区六角橋 
 
戦後はバラックの闇市ができました
 江戸時代は六角橋村で,東海道神奈川宿の助郷の役割を担っていました。昭和に入って,市電の開通と共に小机・中山地方の農家が農作物を神奈川町や青木町の市場に出荷し,帰りに六角橋で日用品などを購入することで,一躍町が発展しました。戦後はバラックの闇市が立ち,現在の原型となったのです。
貴重な木造アーケード
 六角橋商店街には160軒近くが加盟していますが,アーケードのあるふれあい通りには,50軒前後が軒を並べています。ほとんど昭和30年代の木造建築で,貴重な木造アーケードが残っています。

 最近では神奈川大学生など若者相手のカフェやファストフード店が進出しています。 
感動度★★
 もう一度いきたい度★★★
 交通 東急東横線白楽駅から徒歩3分
 
●子安(こやす)/横浜市神奈川区子安通 
 
漁具入れの倉庫が並ぶ
 鎌倉時代からの歴史ある町です。明治に入って埋立地を編入するなど拡大。いまの浜通りは入江川沿いに立つ釣り船屋などの漁具入れの倉庫となっています。
子安神社が見つからないと『新編武蔵国風土記稿』が嘆く
 地名は子安神社にちなむというが、その神社がない
、見当たらない。『新編武蔵国風土記稿』にも、村名の由来となった子安神社がわからないと明記。はるか昔からなかったのか。ただし横浜線大口駅前に、子安地蔵なるものがあるにはあるが……。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 京急本線子安駅から徒歩10分

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