鎌倉市(かまくらし)

○北鎌倉(きたかまくら)/鎌倉市山ノ内
 
   
▲円覚寺/国宝舎利殿など文化財  ▲浄智寺/鎌倉五山の第四位 
   
▲去来庵/市の景観重要建築物  ▲北鎌倉古民家ミュージアム 
古刹の間に風情を感じる
 JR北鎌倉駅を中心にした町です。北鎌倉という住所があるわけではありません。主に山ノ内一帯を指します。昭和5年(1930)に駅開業以来,鎌倉五山の円覚寺,東慶寺、浄智寺をはじめ、明月院や東慶寺といった古刹への足の便が格段によくなりました。同時に観光地化すすみ「北鎌倉」という通称が定着しました。
鎌倉街道沿いの古民家がオシャレな店舗に変身
 駅前を通る鎌倉街道(県道21号線)を歩きますと、オシャレで風情のある飲食店なども並び,一大観光スポットとなりました。さらに裏道を歩いています、古都・鎌倉を感じさせます。
 
感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 JR横須賀線北鎌倉駅からすぐ
 
○雪ノ下(ゆきのした)/鎌倉市雪ノ下 
 
   
▲鏑木清方記念美術館/昭和7年築   ▲川合邸/大正11年(1922)築
   
▲川喜多映画記念館(左が和館)  ▲石島邸/大正末期から昭和初期築 
   
▲鎌倉文華館鶴岡ミュージアム ▲竹垣、植栽、板塀など弊が美しい 
鎌倉観光の中心地
 鶴岡八幡宮や若宮大路など鎌倉観光の中心地です。頼朝が雪見のため鶴岡別当坊を訪れたとき,積もった雪を長棹に詰めて,山陰に「氷室」を造らせたことから雪ノ下と言ったとか。またユキノシタという野草が生えていたからだという説もあります。
 ところで雪ノ下は,裏道がおもしろいです。迷路のような路地には板塀や竹垣など独特の風情が見られます。また美術館なども迷路の合間に見られます。閑静な住宅地だけに1軒あたりの敷地面積も広く,旧家や別荘の多い所でした。明治のころは人口は700人足らず。最近では裏道を歩く人たちが多いようです。
裏道の迷路に古都の風情
 鎌倉らしい風情を感じる所は,佐助や扇ガ谷,大町などの旧市街地にはたくさんあります。歩いていますと、古都の景観を守ろうという住民と行政の一体感が見られます。 
  感動度★★
 もう一度行きたい度★★★
 交通 JR横須賀線鎌倉駅から徒歩10分
○西御門(にしみかど)/鎌倉市西御門 
 
幕府の重臣や高僧たちが住んでいました
 地名は鎌倉幕府の西門にあたるからとか。西御門は幕府と鶴岡八幡宮との間にあり、奥深い谷間に位置します。幕府の重臣や高僧など、地位の高い人たちが屋敷(館)を構えました。しかも緊急事態には、背後の山に避難できる地区でもあります。裏切りや反乱が多かった時代には絶好の居住地でもあったのです。
将軍・源頼朝は武家たちの勲功を判断、確認します
 建保元年(1213)、3代将軍・源実朝(大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では俳優・柿澤勇人さんが演じる)は、有力御家人・和田義盛の反乱(和田合戦)で勝利し、傷ついた武士188人を実検した場所が西御門とされています。実朝は、武家たちの活躍の具合を判断し、確認しています。一方和田一族の首級(しゅきゅう・首の数)は234にのぼり、その他は散り散りになり壊滅しました。
発掘調査で北条義時の墓と確定しました
 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のゆかりの地でもあり、近年訪れる人が多くなりました。鶴岡八幡宮や幕府跡、源頼朝墓所など……。路地から路地へと歩きますと、木造の家屋が連なり、古都の雰囲気を盛り上げてくれます。ところで平成17年6月、国の史跡「源頼朝墓」東谷の発掘調査により『鏡』でいう「北条義時墓」が、ほぼ確定されました。大河ドラマでは小栗旬が演じています。
感動度★
もう一度行きたい度★★
交通 JR横須賀線鎌倉駅から徒歩25分
  
○二階堂(にかいどう)/鎌倉市二階堂 
 
   
▲地名の元となった二階堂跡 ▲毛越寺の浄土庭園をしのぐとか 
中尊寺の荘厳さに心うたれて二階堂(永福寺)を創建
 文治5年(1189)の奥州合戦の際、源頼朝が平泉・中尊寺の二階堂大長寿院の荘厳さに心うたれ、あわせて源義経、藤原泰衡らの供養を兼ねて二階堂(永福寺・ようふくじ)を創建しました。近年、数度にわたって発掘調査が行われました。特に庭園は、毛越寺をしのぐ浄土庭園と推定。この庭園造りには畠山重忠が活躍したと伝わります。
荏柄天神付近に古民家が連なります
 路地散策の楽しみは、古民家や古社寺、地蔵などを見て歩き。学問の神さま菅原道真を祀る・荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)付近にやってきますと、濃い植栽のなかに木造の町家が見られます。ハイカーも多く、このあとは鎌倉宮、永福寺へと向かいます。 
感動度★
もう一度行きたい度★★
交通 JR横須賀線鎌倉駅下車バスで天神前から徒歩5分
 
○小町(こまち)/鎌倉市小町 
 
   
▲丸七商店街/昭和の香りがします  ▲鎌倉市農協連即売所/市民の台所 
ところどころに古民家
 通称小町通り。鎌倉観光の中心地です。鎌倉時代,町の北端に幕府や北条氏の屋敷など幕府の中枢がありました。また町の中心地で町家もたくさんありました。『新編相模国風土記稿』によれば、商家も多く商いの大・小をもって大町・小町と言ったといいます。江戸時代は幕府領ですが、“寺領”も多くそれなりに力を持っていたようです。
丸七商店街に昭和の香りがします
 いまは駅近くの入口から500mほどの小町通りには土産物店や飲食店がギッシリ。とりわけ外国人観光客が殺到しています。しかし駅を出て右側方向の小町1丁目付近は、観光客も少なく、市場や昔ながら商店街があって、“鎌倉野菜”なども買うこともできます。
 
 感動度★
 もう一度いきたい度★★
 交通 JR横須賀線鎌倉駅から徒歩3分
○由比ガ浜(ゆいがはま)/鎌倉市由比ガ浜 
 
   
▲由比ガ浜公会堂/木造2階建て   ▲寸松堂/昭和11年(1936)築
   
 ▲ハリス記念鎌倉幼稚園/大正14年  ▲かいひん荘鎌倉/大正13年築 
   
▲看板建築や古民家が多い所   ▲日本基督教団鎌倉教会会堂 
556体の人骨、馬、犬などの遺体が発見、呪われた土地?
 歴史を遡ると,実に多くの怨霊めいた話しが登場します。斬首されたとか,嬰児が遺棄されたとか,血なまぐさい戦闘の場であったとか。実際に昭和10年(1935)の専売公社建設途中で,556体の人骨と馬,犬の骨が発見され,いずれも元弘3年(1333)新田義貞の鎌倉攻めの戦乱で死んだ人たちの遺骨とされました。他にも忌まわしい遺骨が多数出土されています。文豪・谷崎潤一郎の『痴人の愛』にも由比ヶ浜が描かれています。
●意外にも看板建築が多い
 一方では,近代建築の宝庫といえます。特に昭和初期の建物が目に付きます。特に看板建築が多いところです。ところで地名の由来は由比郷からという説と相互に助け合う「結い」にちなむという説があります。いろいろです。
 
感動度★
 もう一度いきたい度★★
 交通 江ノ電由比ヶ浜駅から徒歩10分
 
○長谷(はせ)/鎌倉市長谷 
 
   
▲旅館對遷閣/昭和2年(1927)築  ▲白日堂/昭和15年(1940)築 
   
▲加賀谷邸/大正14年(1925)築  ▲安齊商店/大正13年(1924)築 
   
▲旧諸戸邸/明治41年(1908)築  ▲旧前田利為別邸/昭和11年築 
   
 ▲吉屋信子記念館/昭和37年築  ▲古民家ギャラリー・イシワタリ 
   
▲高徳院/“鎌倉の大仏”  ▲寺まんじゅう(210円・長谷寺境内) 
大和国・長谷寺の「長谷観音信仰」を広める東国の拠点 
 文字通り長谷寺から派生した地名です。『吾妻鏡』には長谷の名がないので、鎌倉時代後期に地名が生まれ、同時に寺容の形ができあがったようです。また大和・長谷寺の「長谷観音信仰」を広げるための東国拠点でした。
古建築の“野外博物館”
 それにしても蔵造りや出桁造りなどの重厚な町家が目に付きます。南北の大仏坂切通,東西の長谷小路沿いに集中しているようです。これらは高徳院(大仏)や長谷観音(長谷寺)への参道にあたるからでしょう。また長谷小路から横道へ入ると,近代建築が目白押し。長谷は古建築の野外博物館といえます。
 
感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 江ノ電長谷駅から徒歩15分 
 ○坂ノ下(さかのした)/鎌倉市坂ノ下
 
   
 ▲旧家が続きます ▲力餅家/元禄年間の創業とか 
切り通しの坂下に旧家
 地名の由来は、極楽寺切り通しの坂下に位置することだそうです。切り通しを抜けると、左右に旧家と思わしき長い板塀が続きます。江戸時代から幕府領で、漁業を営むものもいましたが、捕獲したした魚はすべて江戸・新肴場に納めそうです。
「いざ キャバクラ!」と叫ぶタモリ
 NHKの人気番組『ブラタモリ』の鎌倉編(その2・2015年5月24日放送)で、極楽寺切り通しでタモリさんが「いざ! キャバクラ!」と叫びました。このときの相手が桑子真帆アナで、苦笑しながら完全スルー。 そんな『ブラタモリ』も2024年3月末で終了しました。残念です。
 感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 江ノ電極楽寺駅から徒歩10分
○扇ガ谷(おうぎがやつ)/鎌倉市扇ガ谷 
 
歴史的にも戦場などが多数登場します
 北鎌倉駅を降りてしばらく線路沿いに歩き、丘陵部へ入りますと扇ガ谷地域になります。鎌倉市周辺部に開発の波が押し寄せていますが、扇ガ谷は旧鎌倉の景観を見られる所と言われています。古来の歴史書、物語や戦場などに登場し、いわば歴史の舞台となったところでもあります。
植栽や竹垣、板塀などで景観を維持しています
 多くの古刹が見られますが、その割には訪れる人は少ないようです。扇ガ谷でも丘陵部の頂上付近は開発の手が入っていますが、谷あいに流れる扇川沿いには古民家が連なり、古都・鎌倉の雰囲気を盛り上げています。植栽や竹垣、黒板壁などで景観を維持し、落ち着いた町並みが見られます。
 
感動度★★
もう一度行きたい度★★
交通 JR横須賀線鎌倉駅から徒歩20分 
○宅間ガ谷(たくまがやつ)/鎌倉市浄明寺2
 
   
▲報国寺/約2000本の孟宗竹が織りなす竹の庭が有名です  ▲旧華頂宮邸・昭和4年築/国の登録文化財・ドラマのロケ地利用が多い 
詫間法眼が地名の由来!?
 報国寺の迦葉(かしょう)像は宅間法眼の名作といわれました。そこから「宅間が谷というなり」と伝えられたとか。
 元暦元年(1184)正月,頼朝の命で京都から下向した宅間派の絵師・宅間為久(ためひさ)は聖観音像を描き,翌年には勝長寿院の壁画を制作するなど,鎌倉幕府と深い繋がりを持ちました。このため為久は鎌倉宅間派の祖とみなされました。
深い谷間の入口に民家
 深い谷間をゆくと,周辺の環境がよく保存されており民家もわずかで静寂さが保たれています。現在、谷の尾根沿いに杉本寺と逗子・岩殿寺の往還路であった板東三十三観音巡礼道が残っています。

ドラマのロケ地利用が多い華頂宮邸
 昭和4年の春、華頂博信侯爵邸として建てられたものです。木造3階建ての洋風建築で屋根が銅版葺きです。なによりドラマのロケ地としての利用が多い。國の登録文化財で日本の歴史公園100選にも選ばれています。 
感動度★
 もう一度いきたい度★
 交通 JR鎌倉駅から浄明寺バス停下車徒歩10分
 
○浄明寺(じょうみょうじ)/鎌倉市浄明寺3 
 
   
▲石窯ガーデンテラス/大正11年築  ▲浄妙寺/鎌倉五山の五位 
往年の大女優・原節子さんも長く住まわれていました
 金沢街道から裏手に入ると静かな住宅地が続きます。2015年に逝去された往年の大女優・原節子さんもこの地に長く住まわれていました。美しい植栽で造られ塀は、古都にふさわしい景観を保っています。大部分の主屋は新築、または改築、改装されています。
地名の由来は浄“妙”寺から
 地名の由来は、もちろん五山の一つ浄“妙”寺からだそうです。ではなぜ浄“明”寺にしたかというと、あまりにも格式高い寺名に遠慮したとか。 
感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 JR鎌倉駅からバスで浄明寺下車徒歩5分
 
○十二所(じゅうにしょ) /鎌倉市十二所
 
   
▲明王院/将軍・藤原頼経が創建。境内は撮影禁止です ▲光触寺・塩なめ地蔵/商人が塩を供えると、帰りには無くなっていた 
美しい詳細や竹垣塀
 地元の古老のなかには「じゅうにそ」と呼ぶ人もいます。鎌倉時代は谷合(やつあい)4か村(ほかに浄明寺、二階堂、西御門)の一つにあたります。地名の由来は諸説ありますが、天保9年(1838)まであった光触寺の境内の鎮守・熊野三山の「熊野十二所権現社」にちなむのが有力なようです。『新編相模国風土記稿』にも明記されています。
明王院付近に古民家が残ります
 町内にある明王院は嘉禎元年(1235)、将軍・藤原頼経が創建。本尊に五大明王を安置するのは、鎌倉市内で当寺だけです。古民家はこの明王院周辺に点在しており、美しい植栽や竹垣の塀が見られます。
 
  感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 JR鎌倉駅からハイランド入口バス停から徒歩10分
○腰越(こしごえ)/鎌倉市腰越 
 
   
▲腰越付近を走る江ノ電  ▲小動(こゆるぎ)神社の狛犬 
源義経が鎌倉目前で足止めになった宿駅
 腰越を一躍有名にしたのは、源義経の腰越状です。兄の頼朝に疎外された義経は京都から下向しましたが、鎌倉に入ることが許されず「腰越駅」で滞在。そこで頼朝の勘当をとくように大江広元に依頼した書状が腰越状のことです。ところで腰越“駅”とは、すなわち小さな宿場でもあったのです。中世、京都と鎌倉を結ぶ街道で鎌倉に入る手前で、西の境界でもあったのです。
●江ノ電を境に山側と海側とでは変わる町の形
 腰越を歩いて見ますと、古民家が点在していますが、決して連なっていません。江ノ電の踏切を越えて奥に入りますと、まさに路地が続き迷路状態です。各地で見てきた漁村のような形態のように見えました。腰越は鎌倉でも最古の漁港とも言われています。『新編相模国風土記稿』によれば、鎌倉往還沿いに352軒、漁船は60艘、江戸までの海路は26里とあります。それにしても江ノ電を境に海側は短冊状、山側は迷路状と町の形態は大きく変わっていました。
 
感動度★
 もう一度行きたい度★
 交通 江の島電鉄腰越駅から徒歩3分 
○材木座(ざいもくざ)/鎌倉市材木座 
 
   
▲光明寺/俳優・高倉健さんの墓碑  ▲光明寺/内藤家の墓石群は圧巻! 
   
▲来迎寺/三浦一族の菩提寺です  ▲九品寺/都市計画道路の見直し? 
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の舞台
 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の舞台です。源頼朝(ドラマでは大泉洋さんが演じます)の死後に発足した集団指導体制で、13人はその御家人たちのことです。材木座もドラマで登場することも多いようです。ところで材木座というのは、鎌倉市の南端の逗子市寄りにある和賀江嶋(わがえのしま)は中世の港で、鶴岡八幡宮の造営の際の木材搬入口となりました。そこでいつのまにか材木座が定着しました。
材木の搬入や運搬、寸法に苦労したようです
 材木の買い入れには何かと苦労したようです。『新編相模国風土記稿』には、鎌倉のは材木運搬を扱う“問車”がいないせいか、材木入手のための「浜の材木売り」と値段の交渉してもうまくいかなかったようです。『吾妻鏡』によれば、和賀江嶋の材木は近年、不法であると断言し、きちんと寸法を定めて売買するようになったそうです。
光明寺や補陀洛寺の裏手に古都の風情
 光明寺から裏道を歩くと、古都らしい風情のある路地の両側に板壁や板塀の古民家が続きます。クルマも通ることなく、安心して歩けます。そして補陀洛寺や九品寺、実相寺や来迎寺に寄りながら鎌倉駅に着きます。 
感動度★★
もう一度行きたい度★★
交通 JR横須賀線鎌倉駅からバスで光明寺下車、その周辺すぐ
 

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