貝塚市(かいづかし)

 ○貝塚(かいづか)/貝塚市貝塚
 
   
▲出格子や虫籠窓のある町家が続く   ▲白漆喰と板壁の蔵が目に付きます 
 ●江戸時代末期の町家
 大阪湾の臨海地区は、かつて第二次世界大戦の空襲で全滅したのかと思っていましたら、残っていたのです。地元では通称、貝塚御坊・願泉寺の寺内地区と呼ばれています。16世紀にすでに寺内町らしい構成が見られるようになったそうです。江戸時代は高度な自治機能を持った町ですが,実際は岸和田潘の監視機関といえます。それでも紀州街道は貝塚御坊を除けて通っていました。
 区割りも江戸時代のままになっており、そのなかに出格子や虫籠窓のある町家、黒板壁で囲まれた土蔵などが残っています。のんびり歩きたいところです。
地名の由来はさまざまでした
 地名の由来は、もちろん考古学上の貝塚があったからというのが通説です。ところが、奈良時代の僧・行基が海辺に塚を築いたという伝説もあるのです。古くは海塚と書いたのも行基の影響からでしょうか。 
  感動度★★★
 もう一度行きたい度★★★
 交通 南海電鉄貝塚駅から徒歩10分
○水間(みずま)/貝塚市水間 
 
   
▲旧街道沿いには古民家が集中   ▲旧家と思われる町家も多い 
   
▲水間観音/お夏清十郎の墓もある  ▲水間観音駅/国の登録文化財 
一時期、秀吉の兵火にあいます
 水間寺は天平年間(729~749)聖武天皇の勅願により厄除けのために,行基が建立されたといわれています。中世には多くの宿坊があったことが確認されています。羽柴秀吉の兵火に合いましたが,その後岸和田藩主の岡部氏によって再建されたのが,現在の堂塔であるといわれています。
お夏清十郎の恋が成就する水間寺
 浄瑠璃『お夏笠物狂』で有名な「お夏清十郎」の墓石が残ります。また愛染橋は縁結びの橋として知られています。また井原西鶴の『日本永代蔵』にも水間寺が登場します。ところで水間寺の清十郞は替え玉が殺されたので、お夏と成就できたといいます。
姫路のお夏清十郎は「せめてあの世で……」
 ただ本家の播磨国・姫路では少々事情が異なります。実際に起きた駆け落ち事件で、身分の違いから恋が成就できず、清十郞は殺され、お夏は半狂乱となります。「せめてあの世で……」と、2つの石を置いたのがはじめといわれます。姫路城の北東にある慶雲寺に「お夏・清十郞比翼塚」として残されています。

●故作家今東光氏が住職
 水間観音駅を出て右側に行くと街道があります。商家,町家などの歴史的建造物が多く見られます。作家今東光氏がこの寺の住職であったことは有名で,映画『悪名』シリーズの原作者で、勝新太郎、田宮二郎(いずれも故人)が銀幕を飾りました。
 今東光氏は千利休の娘の生き様を描いた『お吟さま』で、第36回(1956年下半期)直木賞を受賞しています。
 感動度★★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 水間鉄道水間駅から徒歩5分

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