板橋区

板橋(いたばし)/板橋区仲宿 
 
   
 ▲板橋/地名の由来説があります ▲どの古民家改築、改造されています 
   
▲街道沿いには重厚な町家が改築、改造されて点在しています 
中山道の宿場町
 ひと言でいってかなり広範囲にわたっており,江戸側から平尾宿(下宿),仲宿(中宿),上宿の3つに分かれており,この3宿を合わせて板橋宿と呼んでいました。江戸四宿のなかで脇本陣が3つもあるのはココだけ。江戸末期には,旅籠54軒,家数が573軒あったそうです。
昔の“板橋”は石神井川に架かっていました
 歩いていて,平尾宿はビルやマンションばかりで,仲宿あたり,特に板橋の周辺には,かろうじて蔵造りの町家が少し残っています。かつての板橋は旧石神井川(暗渠)で,現代は遊歩道になっています。
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 交通 JR赤羽線板橋駅から徒歩10分
 
弥生町(やよいちょう)/板橋区弥生町 
 
旧川越街道・上板橋宿
 旧川越街道は江戸時代、中山道の脇往還としての役割を持っていました。三宿(上宿,中宿,下宿)に分かれており、天保13年(1842)から明治22年(1889)まで約50年間にわたり呼ばれた名称です。川越街道の第一番目の宿場ですが、問屋場や本陣などはなく、名主が代行していました。
説教強盗・妻木松吉がついに逮捕!
 弥生町小学校入り口付近は中宿で、代官屋敷や名主屋敷がありましたが、いまはありません。このあたりに「三春屋」(さんしゅんや)という米穀商の店がありました。昭和初期、この店の名を世に知らしめる事件が起こります。説教強盗・妻木松吉が侵入したのです。侵入した際、家人に戸締まりの甘さや番犬を飼うように、などと泥棒除け対策を講じるのです。ところが、三春屋に侵入したとき、米粉に手を付け、その手でガラス戸を触って指紋をベッタリ。その指紋から妻木松吉が逮捕されたのです。
いまは往時の面影は見られません
 人夫や馬の提供する伝馬は,江戸から上板橋を過ぎ,次の下板橋宿までが上板橋宿の負担。いまは往時の面影はありません。 
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 交通 東武東上線大山駅から徒歩10分
 
常盤台(ときわだい)/板橋区常盤台 
 
   
 ▲斯波家住宅/区の有形文化財 ▲道路は大きくループ状になっています
戦前の近代木造住宅・常盤台のお屋敷街
 昭和8~13年にかけて,東武鉄道が広大な土地を買収して区画整理して「東武直営の健康住宅」として販売。というのも鉄道が開通しても北側の風景は、一面の畑地で。ところどころ雑木林とまばらに農家があるだけの殺風景な土地でした。いま北東部分が用地買収できずループ状道路が切れていますが,田園調布と並んで郊外住宅のモデルとなったところ。「常盤台のお屋敷街」とも呼ばれています。
駅名が「武蔵常盤駅」→「常盤台駅」→「ときわ台駅」
 地名は近くの天祖神社の林に常盤の松が茂っていて、まず東武の「武蔵常盤駅」という駅名となり、ここから常盤台と名付けたそうです。常盤台の名が現れたのは昭和11年です。昭和26年から「ときわ台駅」と読みやすくなりました。 
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 交通 東武東上線ときわ台駅から徒歩10分
 
東新町(とうしんちょう)/板橋区東新町 
 
   
▲氷川神社/地元の守り神です  ▲安養院の梵鐘/国の重要美術品 
静かな安養院の周辺
 江戸時代は上板橋村で、上ノ根(かみのね)と呼ばれていました。石神井川に向かった台地にあって、原野を意味していると推定。歩いていますと安養院が見られ、都心の寺とは思えないほど深閑とした境内を見せています。梵鐘には百字真言と真言五仏の撞座(つきざ)が彫られています。また門前には農業用水の跡も見られます。また安養院周辺には、幾つかの古民家が点在しています。
「東」と新田の「新」が合体!
 ちなみに地名の由来は、このあたりを通称「ひがし」と呼び、「新田」の新を合わせたそうです。 
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 交通 JR山手線池袋駅東口からバスで小茂根3丁目下車、徒歩3分
 蓮沼(はすぬま)/板橋区蓮沼町
 
   
▲趣のある板張りの古民家(I邸)  ▲街道沿いにも古民家が点在します 
南蔵院や街道周辺に古民家が散見
 江戸時代旧蓮沼村を開墾したのは、新井三郎盛久ら数人の名前が『新編武蔵国風土記稿』に明記されています。今の新井家住宅とつながるのかははっきりしませんが、隣接する南蔵院も開基したとか。古民家はその南蔵院周辺、街道沿いに多く散見できます。
かつては低湿地帯でした
 江戸時代の蓮沼村は、ここから約2,8kmほど北に行った坂下3丁目の三軒家あたりを集落の中心地としていました。このあたりは武蔵野台地下に広がる原野。荒川の洪水に襲われ、その都度流路が移り変わるという低湿地帯でもありました。何やら地名の由来がわかりそうな気がします。 
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 交通 都営三田線地下鉄本蓮沼駅から徒歩5分
小豆沢(あずさわ)/板橋区小豆沢 
 
   
▲諸大名が休息に利用した旧名主か  ▲小豆沢神社/旧小豆沢村の守り神 
   
▲龍福寺/室町時代末期の創建  ▲志村一里塚/国の史跡です 
平将門が小豆を運搬中に船が難破した!?
 中世の時代から存在する歴史ある地名です。地名の由来は,平将門が貢ぎ物の小豆を運搬中,船が難破して,この入江に流れ込んだからと言う説など,諸説入り乱れています。ただいえるのは,荒川の曲折点で,洪水が多かったということ。
まだまだ残る旧家
 江戸時代は間宿でもありましたが,名主と思われる豪華な旧家が残されています。これは中山道を通る諸大名が休息に利用したことから,武家屋敷並みの構えになったものと推察。また所々に古民家が見られますが,大部分は現代住宅です。 
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 交通 都営地下鉄三田線志村坂上駅からすぐ
志村(しむら)/板橋区志村 
 
   
▲延命寺/区内最古の板碑がある  ▲熊野神社絵馬殿/絵馬は文化財 
   
▲第一ストア/昭和の香りがしました  ▲納豆そば(370円・おくちゃん) 
ブロック塀の向こう側に旧家が散見
 町並みは中世の志村城を中心に広がりました。しかも荒川の洪水の及ばない高台にあるのです。周辺の地名も『新編武藏風土記稿』に志村城の影響を受けていると明記。高台には,ブロック塀に隠れて,近代木造建築と思われる旧家が見られます。
イボ取り祈願の蛸薬師
 延命寺の境内には、区内で最古の庚申薬師如来の石仏があって、別名イボ取りの蛸薬師(たこやくし)と呼ばれています。戦後の一時期、志村銀座通りに祀られ、大勢の人たちがやって来て地域の発展に大きな役割を果たしました。 
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 交通 都営地下鉄三田線志村坂上駅から徒歩10分
徳丸(とくまる)/板橋区徳丸 
 
   
▲旧粕谷家住宅/江戸時代後期築  ▲安楽寺/真言宗智山派 
江戸期の産物にダイコンやたくわん漬け
 江戸時代は豊島郡徳丸脇村に所在。寛文10年(1670)に徳丸本村,徳丸脇村,徳丸四ツ葉の3村に分村して成立。脇村は武蔵野台地の北側に位置し,ダイコンなどの商品作物とそれを加工したタクワン漬けを生産していました。徳丸の由来は徳麻呂という人が開拓して名付けられたなど諸説あります。
旧家を取り巻く屋敷林
 台地に広がる町並みですが,旧家が多く屋敷林が至る所に見られます。旧粕谷家住宅(東京都指定文化財)は,今も住んでおられます。建築年月日は復元整備する過程で、享保8年(1723)であることが判明しました。付近には農村で見られる豪華な木造2階家が多い。 
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 交通 都営地下鉄三田線高島平駅から徒歩15分
 

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