磯子区(いそごく)

原町(はらまち)/横浜市磯子区原町 
 
堀割川を境に町家の様相が変わります
 JR根岸駅から歩いていて気がついたのは,駅の左手方向にある堀割川(明治7年に開通した人工河川)を境にして,民家の様相が変わるということです。川を渡ると町家は庶民的な棟割り長屋や小粒の家々が続きます。川の手前の下町や原町は比較的,1区画が広めの門構えの住居が散見できます。
区画の広い宅地は“海浜別荘地”
 もとは滝頭村内の一集落でした。『新編武藏風土記稿』では、この辺りの地域は、根岸村の字名で“芝生”とあります。元もと原っぱであったのでしょう。明治に入ってから,風光明媚な海浜地区の別荘地としての開発、利用が多かったと推定されます。 
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 交通  JR根岸線根岸駅から徒歩5分
下町(しもちょう)/横浜市磯子区下町
 
   
▲旧柳下邸/横浜市指定文化財  ▲旧家と思われる屋敷が並ぶ 
薬医門のある邸宅が散見
 このあたりは閑静な住宅地。薬医門のある邸宅が散見されます。やや高台にありますが,海岸から見ると下の方に位置する町で,下町と名付けられたとか。その証拠に『新編武藏風土記稿』にも,根岸村の小名で“下”とあります。
旧柳下邸は横浜市の文化財です
 旧柳下(やぎした)邸は、明治から大正期の有力商人で、大正中期に建設されました。建物は和洋折衷で、地域のランドマーク的な存在となっています。いまは横浜市が管理して「根岸なつかし公園・旧柳下邸」として一般公開しています。横浜市の指定文化財です。 
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 交通  JR根岸線根岸駅から徒歩8分 
中浜町(なかはまちょう)/横浜市磯子区中浜町 
 
かつて海の“浜”のある町でした
 前面の海が埋め立てられる前は浜でした。「浜町」にしなかったのは鶴見区の浜町と区別するためか。昭和40年の住居表示の施行にともない新設された町名です。
庶民の町家がギッシリ
 裏手の通りは庶民の町並みで,トタンで改装した一見しもた屋風の町家がギッシリ詰まっています。また板塀のある町家も散見でき、なぜか歩いていてホッとします。
 
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 交通  JR根岸線根岸駅から徒歩12分
久木町(ひさきちょう)/横浜市磯子区久木町 
 
自治会名に旧町名“禅馬”が残ります
 『新編武藏風土記稿』によれば,磯子村,岡村,瀧頭村の三村を禅馬郷と呼びました。そこで町名に禅馬の名を採用する予定が,もっとわかりやすく読みやすくという要望から,旧久良岐郡→久良岐→久ら木→久木(ひさき)となったそうです。すなわち昭和40年の住居表示の施行にともない新設された町名です。自治会名に禅馬が残っています。
●ヤミ市が発展・浜マーケット
 歩いていますと,近代木造住宅や現役の理髪店,畳屋などが見られます。しかしおもしろいのは市場です。終戦後,空いていた戦車が通れるように広げられた道路(通称・戦車道路)が疎開道路となり,さらに闇市に発展。昭和29年に今の原型が完成しました。
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 交通  JR根岸線根岸駅から徒歩15分 

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