福生市(ふっさし)

○福生(ふっさ)/福生市福生 
 
一時期軍都として発展しました
 江戸時代は山口領、拝島領など幾つかの領地を変遷。その後幕府領となります。村高も1000石弱とかなりの石高を示しています。村民たちは農閑期には、多摩川で漁に出たり、女は養蚕、木綿織りに従事し駄賃を稼ぎました。しかし福生を大きく変えたのは昭和11年に軍部が、陸軍用地として200ヘクタールを買収、多摩飛行場が完成しました。そのあとは“軍都”として発展、戦後は米軍に接収され今の横田基地となりました。
●黒塀と白漆喰の酒蔵の続く町
 軍都にも古民家があります。福生駅から歩いてすぐのところに田村酒造場の黒塀と白の酒蔵が連なります。酒造蔵、前蔵、雑蔵など多くの建築物が国の文化財として登録されています。
 ところで「ふっさ」という奇妙な地名の由来はさまざまです。土着の人たちの方言「フッチャ」の転訛説、景観を意味するアイヌ語説、麻の古語「総(ふさ)」説、多摩川沿いの「阜沙」の転訛説など……。 
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交通 JR青梅線福生駅から徒歩20分
 熊川(くまがわ)
 
   
▲土蔵と美しい植栽が似合います  ▲熊川神社本殿/彩色は江戸時代 
石積みと植栽の町並みが続きます
 江戸時代は幕府と旗本の入会地区。村高は550石弱です。村民も耕作の余暇に川魚漁を行っていたとか。駅を出てしばら歩きますと、都心へ通う通勤客の住宅がビッシリと連なります。しかし多摩川に近づくにつれ、石積みに植栽をほどこした塀が続きます。歴史を感じさせる町並みに到着。といっても、塀の中は意外と現代住宅が見え隠れするのです。ただ白壁の漆喰の土蔵があちこちに見られます。
農民33人が名主の不正を訴える
 天明8年(1788)、本村の田沢氏領の農民33人が、名主・勘六ら3人に「私欲押領」ありとして、彼らの不正を役所に願え出る事件が発覚。2年後の寛政2年(1790)4月、双方が納得したうえで示談証文を取り交わして解決しまた。また慶応2年(1866)の武州一揆のときは、32人の逮捕者が出ましたが、本村からも2人の逮捕者が出ました。
奇妙な名前の「水喰土公園」の由来は?
 ところで玉川上水とJR青梅線のあいだに水喰土(みずくらいど)公園とい奇妙な名前の公園があります。かつて水喰土という地名があったところで、玉川上水の西側一帯を指していました。江戸時代、玉川上水の堀を掘っても掘っても厚い砂砂利層に水をことごとく吸い込まれたことに由来します。いまは「ふっさ十景」にも選定されています。 
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交通 JR五日市線熊川駅から徒歩10分
 

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