保土ケ谷区(ほどがやく)
○保土ヶ谷(ほどがや)/横浜市保土ヶ谷区保土ヶ谷 |
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●旅籠や蔵造りの町家 江戸時代の慶長6年(1601)に幕府によって宿駅・伝馬制度が定められると同時にできた宿場町です。このころは,両隣の川崎宿,戸塚宿は未整備状態でした。また慶安元年(1648)ごろに大改修され道筋が変わりました。初代歌川広重の浮世絵でおなじみの帷子橋(新町橋)もこのときに架けられましたが,現在,古道の正確な道筋に関して諸説があり,特定されていないとか。 ●地名の由来、柳田國男の珍説か!? 保土ヶ谷には本陣のほかに脇本陣3軒,旅籠37軒あり,現在本金子屋が残されています。地名の由来は、谷間の細長い地形が女性の“ホド”に似ているからと柳田国男は力説します…。 |
感動度★ もう一度いきたい度★ 交通 JR横須賀線保土ヶ谷駅から徒歩10分 |
○霞台(かすみだい)/横浜市保土ケ谷区霞台 | |
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▲大仙寺/旅人の道中の安全を願ってにぎわいました | ▲おでんの墓(右端)/米屋の女中で米俵3俵を持ったとか |
●「台地状の霞がかかる美しい場所」(!?) 昭和15年に神戸上町、保土ケ谷町の一部を合わせて新設された町です。台地上の集落で、霞のかかる美しい場所であろう、という理由から命名されたとか。また一時期流行った「丘、台」の地名の先駆けをいく地名でもあったようです。 ●大仙寺の墓地横に古民家が残ります 保土ケ谷宿に大仙寺があり、旅人たちは道中の安全祈願で賑わいました。また宿場内の有力者の菩提寺でもあったのです。大仙寺の墓地と東海道の間の狭い道に古民家が見られます。ハイキングコースにもなっており、ここを抜けて本陣跡へと巡ります。 |
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感動度★ もう一度行きたい度★ 交通 JR横須賀線保土ヶ谷駅から徒歩10分 |