東村山市(ひがしむらやまし)

野口(のぐち)/東村山市野口町 
 
   
▲正福寺地蔵堂/禅宗様建築で国宝指定  ▲通り沿いの至るところに古民家 
国宝のある“無名の町”
 この平凡な地名を知らずとも、都内で国宝のある町といえば興味を引きます。2009年に赤坂迎賓館(旧東宮御所)が国宝に指定されてから、ながらく「東京でたった一つ、国宝のある町」を売りものしてきました。
正福寺は典型的な禅宗様式
 正福寺地蔵堂がそれで、鎌倉・建長寺の末寺で典型的な禅宗様式の建築です。ふだんは訪れ人は少なく、広大な境内はがら~んとしています。「禅宗様」(ぜんしゅうよう)とは、鎌倉時代に禅宗とともに日本に伝わった中国北宋系の建築様式。唐様(からよう)ともいわれた。
美しい植栽や土蔵のある町並み
 それはともかく、町並みも植栽に囲まれた住宅や土蔵が点在しており、美しい景観を保っています。江戸時代からお茶(狭山茶)の名産地として知られおり、問屋もたくさんありました。 
感動度★
もう一度行きたい度★★
交通 西武新宿線東村山駅から徒歩10分
 
久米川(くめがわ)/東村山市久米川町 
 
戦国時代の古戦場
 古くは久目河、来目川、貢馬川とも書きました。北側に柳瀬川が流れていて、これを久米川と称し、川の名前が地名に転訛したともいいます。かつて鎌倉街道の宿場町として発展しました。新田義貞の鎌倉攻めでは、北条軍との戦いが当地で行われました。またその後、小手指原合戦では、足利尊氏もこの地に陣を構えました。いかにこのあたりは要地であったかがわかります。
他の街道の賑わいとともに衰退
 ところが戦国時代も末期になると、小田原-所沢の往還が開け、宿場の賑わいは所沢に移っていき、徐々に当地は衰退していったのです。これは江戸時代に入っても府中街道沿いに屋敷が並び出すなど、賑わいはかわりつつありました。
●古民家は鎌倉街道沿いに点在します
 とはいうものの、南北に貫く鎌倉街道を利用する物流や人の往来も多く、それなりに利用されていました。古民家は、諏訪神社周辺、旧家などを通る鎌倉街道沿いに点在しています。 
感動度★
もう一度行きたい度★
交通 西武新宿線東村山駅から徒歩10分
 
青葉(あおば)/東村山市青葉町 
 
静かな療養の家並み
 松本清張の名作『砂の器』で、ハンセン病にかかった父親が村を追い出され、幼い子どもとともに流浪の旅に出るというシーンが胸を打ちます。“ライ病”と呼ばれ、人に伝染し不治の病と言われたころ、家族と離別し、また追い出され、その後差別と偏見の時代を生き抜き、いま多摩全生園で静かに余生を送られています。もう平均年齢も80歳を超えたといいます。建物は平屋建てで、棟割りになっています。
花見シーズンになると賑わいます
 かつての土塁もなくなり、いまは自由に散歩することもできます。とりわけ花見のシーズンは近所の人たちの名所にもなっています。またジョギングを楽しむ人たちも多く、けっこう賑わっていました。 
 感動度★
もう一度行きたい度★
交通 西武池袋線清瀬駅からバスでハンセン病資料館下車すぐ

                       ページの先頭にもどる