厚木市(あつぎし)

厚木(あつぎ)/厚木市寿町 
 
かつて旧カフェ街を形成
 小田原北条氏の時代から相模川を利用した木材をはじめ、物資の集散地として発展しました。毎月2,7の付く日に市が立ち、大いに賑わったそうです。江戸時代に入っても,幾つかの街道が重なり,宿場町を形成。陸交通の要となりました。戦後になって小江戸ともいわれたりしましたが、今はそんな面影は全くありません。そのかわり,小規模ながら旧カフェ街を形成し人々が集まってきました。今は普通の飲食店街です。 
地名の由来はアイヌ語説などいろいろ
 ところで地名の由来は、アイヌ語説があります。相模川の渡船集落であることから、アイヌ語のアツイゲンが転訛した説。もう一つは諸川が合流する漁場であったところからヤオロケシ、これは集まることを意味した寄木の意味で、この寄木が厚木への転訛した説。さらにアイヌ語とは関係なく、木を集めるというアツメギがアツギに転じたという説があります。いろいろですね。
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 交通 小田急本厚木駅から徒歩15分
飯山(いいやま)/厚木市飯山 
 
   
 ▲光福寺/浄土真宗本願寺派 ▲小島家住宅/国の登録文化財 
集落内に大山道、丹沢道が通る
 ふるくは「いやま」といい、印山、井山とも書いたそうです。すでに平安時代の書物にも地名が登場するとか。河岸段丘状の高い位置から低い位置に至る所にある集落。集落内に大山、丹沢の2街道が通り、けっこう賑わったようです。飯山村の村高を見てみますと、2000石前後と驚くほどかなりの穫れ高を示しています。用水も張り巡らされ、畑作が盛んだったようで、小田原への供給地の役割を果たしていたのでしょう。また寺院の数も多く、かなりの有力な檀家がいたと推定。
幾つかの旧豪農の邸宅
 いま歩いて見ますと小鮎川沿いに降りると、ほとんど現代住宅に変わっています。旧名主と思われる邸宅や豪農の邸宅など幾つかの大きな旧農家が点在し、往時の面影を見ることができます。
 
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 交通 小田急本線本厚木駅からバスで光福寺下車、徒歩すぐ