足立区

 千住(せんじゅ)/足立区千住4丁目
 
   
▲名倉医院/明治7年開業。森鴎外や夏目漱石らとも交流。将軍家の鷹狩りの休憩所も兼ねたとか ▲大橋眼科医院/大正6年建造の洋館のイメージをそのままに昭和57年に新築、復元しました
   
 ▲横山家住宅/江戸時代後期の建物(昭和11年改修)  ▲槍かけだんご(1本90円/かどや)あんこもあります
 ●江戸から数えて最初の宿場町
 千住は日光街道と奥州街道の最初の宿場でした。いわゆる江戸4宿のひとつです。ちなみに江戸4宿(えどししゅく)とは,品川宿,内藤新宿,板橋宿と千住宿です。
 このあたりは北千住と呼ばれています。荒川区の南千住に対してでしょう。その北千住には何度も行きましたが,千住宿ははじめてです。
 通称宿場町通りを歩くのですが,それらしき建物は見られません。やはり無理かと思いながら3丁目から4丁目に入ると,蔵造りや古い建物が見つかって,内心ホッとしました。
名物の槍かけだんご
 名物のだんご屋さんは何軒かありますが,やはり有名なのは「槍かけだんご」です。ちょっと濃いめのタレが,モチモチ感とともに口のなかに広がります。近くの広場で食べました。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★★
 交通 JR・東武・つくばエクスプレス・地下鉄北千住駅から徒歩5分
 西新井(にしあらい)/足立区西新井
 
   
 ▲手焼き煎餅の老舗・浅香屋  ▲いつも賑わう西新井大師(総持寺)
 ●参道には古建築の老舗
 総持寺(西新井大師)の井戸で天長3年(826)弘法大師が加持祈祷したところ,たちまち水がわき出たという伝承に基づき,井戸を西新井と呼び,地名にもなったとか。天長3年(826)創建で,江戸時代に西新井大師の門前町が成立し,多くの参拝客で賑わいを見せました。
参道に蔵造りの商家が見られます
 本堂は昭和41年の火災で焼失,現在は鉄筋コンクリート造りです。訪れた日は早朝でしたので,参拝客も少なくガラ〜んとしていましたが浅香屋さんだけが開店。参道には蔵造りの商家が所々に見られます。
 感動度★
 もう一度いきたい度
★ 交通 東武大師線大師前駅から徒歩3分
 柳原(やなぎはら)/足立区柳原
 
   
 ▲探し歩いてまた見つけました  ▲珍しい木の電柱にかさ付き電球
   
 ▲地元の守り神・柳原稲荷神社  ▲近くの柳原千草園
“木電気”の残る街
 木電気というのは,木の電柱にかさ付き電球がぶら下がる街灯のことです。といっても正式の名称ではなく,地元の人たちが子どもの頃から親しんだ呼び名です。昭和の香りがする木電気がいまだに残っているのです。
●LEDに代わっても木電気は残したいそうです
 密集した住宅街の路地に忘れられたように立っています。町内でも残された数はわずかという。東京でもおそらく珍しいのではないでしょうか。ただ今後は電球もLEDに切り替えるとか。時代が移り変わっても,木電気(きでんき)は昭和のシンボルとして残していくそうです。
 感動度★★
 もう一度いきたい度★
 交通 東武スカイツリーライン牛田駅から徒歩15分
 伊興寺町(いこうてらまち)/足立区東伊興
 
   
 ▲正安寺/関東大震災後移転  ▲東陽寺/塩原太助の墓は文化財
   
 ▲易行院/助六の塚があります  ▲本行寺/関東大震災後移転
   
 ▲長安寺/彫刻家森鳳声の碑  ▲善久寺/藩医南小柿甫祐の墓
   
 ▲法受寺/“怪談牡丹灯籠”の碑  ▲栄寿院/関東大震災後に移転
   
 ▲応現寺/山門は文化財指定  ▲氷川神社/区内最古の氷川神社
   
 ▲連念寺/浄土真宗大谷派  ▲常福寺/落語家林家三平の墓
   
 ▲浄光寺/関東大震災後に移転  ▲東岳寺/安藤広重の墓・都文化財
浅草・本所から移転
 もともと8ヵ寺(内1庵を含む)は江戸時代からありました。それは『新編武藏風土記稿』にも記載されています。その他の14ヵ寺の多くは浅草,本所地区にありました。関東大震災後,区画整理にともない郊外への移転を強制されたようです。ただし,移転場所までは指定していません。寺院側によれば,浅草の低湿地に対して,伊興の高燥の地が移転場所に適当と判断したそうです。
著名人の墓も一緒に移転
 ゆるやかな曲線の道の両側に大小の寺院が並んでいます。浅草にあっただけに著名人の墓も一緒に移転したようです。
 感動度★
 もう一度いきたい度★★
 交通 東武スカイツリーライン竹ノ塚駅から徒歩15分

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